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Channel: 愛 編む ばあばぁ in 宇和島
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木屋旅館へ 5

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お二階の道路側 廊下

天井が斜めに なっとるんよ

継ぎ足した部分なんと


よく見ると ガラスは 波うっとったんよ


こんな可愛い 欄間は 今まで見たことがないわい




ほやけど 普通なんが 好きかな・・・



「お客さんが 到着でーす」

もう一組の欄間も 撮りたかったんやけど

営業に邪魔したら いけんので

慌てて お仕舞にしたんよ・・・・残念!



坐禅会でした

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日曜日の午後の 坐禅会

山門をくぐったら あ~ら 珍しい事 

ここだけ 草が生えとる

よ~く見たら かわいらしいやね 

紫色のこんまな花が いちめんに 咲いとるんよ


萩も もうおしまいやね 

だいぶん 散ってしもうとる


ナルコユリとのコラボかな?

色は白ではのうて

ほんのり ピンク色 掛かっとったんよ


床の間には ハランだけで 素敵に・・・

残念 ピンのボケやね


ここで お月様を愛でて お団子いただこうかねえ


故郷を訪ねて 1

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目黒 建徳寺



子供の時は 高くて長いと感じとった 階段


センダンの木も 年老いて


台風の影響の風が つよかったもんね


冬になると 宇和島の 我が家の前に

この実が ぎょうさん おちとるんよ

カラスが食べて 消化できん種を

ペッ と吐き出すんと

電線に止まって センダン飛ばしをしとるんやなあ 


本堂前の イチョウの木

ちょっと あわれやね


川向こうに見える 小学校

子供の数は 何人やろ?

今度の日曜日は 運動会なんと

注目は 全員参加の ラジオ体操なんと

さぞかし 賑やかな声が こだますることやろうね


故郷を訪ねて 2

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あたしゃ 覚えて無いけどね

その昔 今の学校側に お寺があって

今のお寺に 学校があったんと

学校に向かって 渡った橋の名は 「寺橋・てらばし」


流れる川は 目黒川

滑床渓谷から流れて 四万十川に 合流するんよ


草刈り中の兄が 刈り残してくれた 曼珠沙華


こないだ お盆やったと思うたら もう お彼岸

秋の彼岸は 忘れそうになるけど

彼岸花が 教えてくれるんよね


家の裏山には 

お盆のお棚の 敷物に使こうた 芭蕉

もう バラバラになって しもうとる

子供の時はバナナやと 思ったことも あったんよ

モンキーバナナみたいな 実をつけるんやもん


2~3年前 大超寺奥で これを見つけて

見事に勘違いされた人も ご近所におられたわい

故郷を訪ねて 3

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春になったら 蕨が食べれるんよね


タラの木は タラの芽食べる頃しか 

眺めたことが なかったんよ

花が咲いて


実もつけるんやね


葛の花は 終わりかけとるけど 蜂がブンブン


ちゃんと ハチミツを横取りする 用意も・・・


フキノトウは 一番に 春を告げてくれるんよね


えっ! これは?

モクレンの実 初めて見たんよ


これは これは・・・たまげやねえ

もう 春咲く花の準備を しとんさる


なんやら ブランコ さ・み・し・そ・う・や・なあ


金剛山 中秋の名月の夜

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内港に近い 我が家からは

もうすでに 大きなお月様がが 顔出しとったんよ

金剛山は 山際やけんね これからなんよ

街灯もないんで 真っ暗なんでー

濡れ縁に 腰掛けさして もろうて お庭を眺めとるんよ

それでも 空と山の境目は くっきりと 


お庭には お供えが・・・


お茶室には 灯がともされて・・・



稜線が明るく ぼわ~っと してきたねえ 


おまたせー!

みんなの顔も 月光に照らされて 美しいこと!


場所をずらすと 木漏れ日のように・・・


ご老師様の お・も・て・な・し

お野菜は 金剛山の畑で 採れたものばかり

ロウソクの灯りで 撮ったんやけどね

老眼のあたしゃには 画像までにも 見えなんだんよ

口に入れてから 何食べとるかが やっと わかったんよ

味付けは京風 薄味で 美味しかったこと!

お椀も あったんよ

ちなみに 坊っちゃん団子は おもたせで

ご老師様お手製 京風お団子も いただいたんよ


お点前は 金剛流?だとかで・・・・・

お作法も知らん あたしゃでも

緊張せずに 美味しゅうに いただけたんよ



風流人じゃあ ないけんね 一句浮かばんのが 口惜しい!

只々 お月様を 眺めて・・・

何か ご褒美いただいたような・・・

そんな 幸せな気分に なったんよ


お暇する頃には

本堂の屋根よりも 高いところから 

帰り道を やさしく照らして くれたんよ



土曜の夜の天赦園が 素敵です

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昨年に引き続き 夜の天赦園を 楽しめるんよ

ぼんやり灯る竹灯籠に 導かれて・・・・・


園内に入ると・・・・・すご~い!

何百とゆう数の灯り

ロウソクの灯りは 思い思いに ゆらゆらと・・・・・ 

ペットボトルとは 思えんくらい きれいなんよ


九曜紋や


たてみつ引き


そして子供達が 描いてくれたんも


自分のかいた 灯りを見つけて はしゃぐ子供も

背後は宇和島城と テッペンは天守の灯り

お月様のようなんは 園外の ただの街灯


池の周りも グルーッと 一周できるんよ


ロマンチックな 散歩道

写真を撮るなら 火灯し頃が ええやろなあ


あたしゃ お片付けだけの お手伝い


今年は お若いスタッフが大勢 おんさるんよ

「ペットボトルは トラ箱に 入れて下さい・・・・・」

ぎゃはー!・・・城守衆に 大受け

トラ箱ではのうて トロ箱

魚を入れるんも 今じゃ 発泡スチロール製やもんね

木製のトロ箱 久しぶりに 見たがな

トラ箱は どうしようもない酔っぱらいが 

お泊りさせられる とこよねえ

どこぞに お泊り経験者は おんさらんかねえ

城守 ハチ捕獲大作戦

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午前中の 「結人」の集まりの後

午後は 慌ただしく 夜の準備をして

夕方には 登城したんよ 

昨日は 随分 蒸し暑い日やったねえ

この間 吊るした ハチトラップ

2週間しか 効果がない とゆうことで

また 新しいんを こさえよるんで


さ~てと 回収して こうわいね

吊り下げた人にしか その場所は わからんのよ

ゾロゾロ ついて行ったら

発見 何やら 動きよる


底にも ギッシリ 沈んどるね

大きい奴は もがいとるんよ


ハチ捕獲大作戦 成功!

「何匹とれたんか 数えたいなあ」

こわい こわい 刺されでもしたら 大事よ

そーっと そのまま 消えていただこうや 



城守 芋炊きをしました

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ほほー 何流やろうね

秋の七草なんやけど

撫子だけは ないんよ

葛の花は 散ってるようで 葉っぱだけ


芋炊きの会場


お月様に お供えも


嬉しやなあ

あっと言う間にと 二つの鍋は 空っぽに・・・

途中で 大粒の雨が ポツポツして来たんやけど

すぐに 去って行ったんよ


お月様を 待てんでな

お腹いっぱいに なったところで

退散したんやったんよ

布ぞうり 準備 五等分

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「ぞうり編む時の紐の幅は 何センチ?」

幅の大きさは 決めてないんよね

生地の厚さにもよるけど 5~7.5cmくらいまでかな

着物地やったら 反幅 五等分

「四等分の方が 簡単でしょ」

それじゃ 幅が広すぎるんよね

多少 面倒くそうても・・・・・

✂で 切り目を入れて ビリビリ 裂ける布は 簡単なんやけど

生地によっては ✂で裁断するしか しょうがないんよね

まず 五分の一の所まで 折り返すか


五分の一を 折り返すか

どっちでも ええんよ


それを 半分にたたんで


ひっくり返したら


丁度真ん中に 境目が出るよ

そこを チョキチョキ


後は 折り目が付いとるけんね・・・・・

生地によったら アイロン掛けの いらんのも・・・

アイロンで ビシっと折り目付けた方が やりやすいかな

布ぞうり 26.5 さあ編むぞー             

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秋の気配を感じて 

せっせと アイロン掛けも したんでー

ちょっと 生地が ごついけんね

編み始めの つま先は 別布で ・・・

境目と 鼻緒に ほんのちょっとだけ

色を 添えてみたんよ

ふっくら お御足 痛うないよう 

鼻緒立ても ゆったりなんよ


季節外れの芝桜と


結人 吉田藩人物伝 1

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宇和島藩に続いて 吉田藩のお勉強

お殿様の名前も 頭に浮かんでこんのやけど

軽~く 復習のつもりで・・・印象的なもんだけ・・・


秀宗五男宗純は 政宗十男兵部の介入で

怪しい「三万石のお墨付き」の通り 

吉田藩三万石初代藩主に なるんよね

その後仙台では お家騒動が・・・

事件の真相は未だ不明なんと

山本周五郎「樅ノ木は残った」は

大河ドラマに なったんやけど

あたしゃ 本もドラマも 見てないんよ

兵部は土佐山内家に配流

兵部側近は吉田藩お預け

目付けは宇和島藩お預け

吉田大乗寺には 兵部一族の墓が

高知五台山には 兵部の墓があるんと


結人 吉田藩人物伝 2

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吉田藩でも 上意討ち事件があるんよ

寛文4(1664)年 船奉行 勅使河原父子の斬殺事件

御用船の用材に 死節(しにぶし)を使用したとの

理由やったんと

事件後 変異が続いてな 祟りを恐れて

御殿山の麓に 和霊明神社を建立したんと

今は 八幡神社に移されとるんよ


刃傷事件も・・・・・

深田村に 文庵と名乗る評判のええ医者が おったんと

文庵こと 山田仲左衛門は 宗純の難病を平癒さして

破格の高禄で 召し抱えられるんよ(1674年)

医術以上に 武術の達人の仲左衛門 仕官6年足らずで

五百石取りの 筆頭家老にまで のぼりつめたんと

次第に 藩政を専横するようになってな

「仲左衛門にお家乗っ取りの野心あり」と

御小人組軽輩らが 山田の暗殺を企てるんよ

ほんでも 内通者がおってな 

一網打尽にされたんと 天和3(1683)年のことなんよ

寛延3(1750)年には 廟所が設けられて

「お八人様」として 供養されとるんよ


山田は難を避けて 江戸へ

甲斐織部ら譜代の家臣は 何度も仙台藩に訴えるんよ

貞享3(1686) 芝浜の仙台藩で裁判中

得意の弁舌で言い繕う山田に 甲斐織部が乱入

斬りかかるも 武芸の達人山田のこと 未遂に終わるんよ

この結果 山田は仙台藩終身幽閉

織部は五百石没収 成妙の黒井地村に・・・

事件は決着するものの 仙台伊達家から宗利に 

「宗純の行状を監視せよ」との 口添えが有り

向後 宇和島藩は吉田藩に対する 優位を確率したんと

結人 吉田藩人物伝 3

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山田事件の5年後 宗純は隠居

家督は 2代宗保へ・・・が わずか2年で早世

秀宗七男宗職金之助11歳が 3代藩主に・・・

これ以後 宇和島藩からの目付けの出向が 恒常化したんと


国許吉田伊達家菩提寺は 大乗寺

江戸在府中に没した時は 東禅寺(現高輪)に埋葬されたんと




三万石から五万石の諸大名に命いじられた 「御馳走役 」

初代宗純が3回 宗保が1回 努めとるんと

3代藩主となった宗春 

元禄14年 浅野内匠頭と共に 御馳走役を務めるんよ

この時の 浅野と伊達の 御取囃役(指南役)は

吉良上野介やったんと

そう 江戸城松の廊下の刃傷事件 赤穂浪士の忠臣蔵よ


宗春の時代 江戸屋敷は火災に遭い

国許は大地震に見舞われ 津波の被害も ・・・

亨保元(1716)年 徳川吉宗が新将軍になると

「公儀御障」につき 宗の字を遠慮 

名を 成任(しげとう)とあらためたんと

亨保11年には 成任改め 村豊に

亨保の改革で財政は厳しく その上 大洪水に飢饉と

苦難連続の日々やったみたいやね

それでも 3代藩主 村豊は

水墨画等を 残しとるんよ


結人 吉田藩人物伝 4

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5代村賢から 6代村芳にかけての時代

天明2(1782)年から 5年間に 4回に渡る風水害

天明7年 土居式部が一揆を企てるも 未然に摘発獄死

名将土井清良の後裔  神官土居家は 絶えたんと


この6年後 寛政5(1793)年 大規模な一揆が 起きるんよ

農民の困窮を見かねた 百姓武左衛門

門付けの乞食芸人に 身をやつしてな

3年間にわたって 領内農民を説得 24人の同志を得るんよ

まず 豪商は法華津屋を打ち壊せと 檄をとばして

領内83か村全てを決起さすんよ

なんで 法華津屋? 

その頃諸藩では 特産品は専売制

吉田藩では法華津屋こと 三引高月家と叶高月家の両家が

全ての物資を扱うばかりでのうて 

紙の専売とゆう特権を  与えられとったんと

打ち壊しのための大綱が  今でも残っとるんよ

神社の護符 女の髪の毛なども ない込んどるんと



1万人近い百姓が集まったところで 一転して

宇和島藩に訴える策を取り 

宇和島城下の八幡河原に集結したんと

八幡河原に駆けつけた 吉田藩家老安藤義太夫継明

吉田藩に 願書を出すよう説得 

群衆の面前で 切腹したんと

安藤継明は 宇和島藩村候に推挙されてなった末席家老

事態収拾に乗り出した宇和島藩は 要求をすべて認め

百姓の罪は問わないと 約束したんと

吉田では 非業の死を遂げた安藤継明を崇敬

安藤様として 祀られとるんよ



おさまらないんが吉田藩 首謀者探索に やっきになるんと

田植え前の川普請で 例年にない好条件で雇用してな

慰労の酒食を振る舞うて 井川方役人岡部二郎九郎は

酔ったふりしてほめちぎり 首謀者の名を聞き出したんと

その後 一斉補縛されるんよ  

その日の岡部は 目黒滑床へ滝見見物で アリバイ工作

「わしがいれば 何とかできたものを」と・・・大芝居

武左衛門は吉田連行途中 下大野村はずれで斬首

ほかの者は永代入牢 

安藤継明の17回忌に赦免されたんと

武左衛門一揆については これでも書き足らんほどやなあ


結人 吉田藩人物伝 5

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吉田三傑と称される 郷土の偉人達

「山下亀三郎」 「村井保固」 「清家吉次郎」

なかでも 海運王山下亀治郎は別格やねえ

像の建つ 桜橋の袂の公園 は

何時もきれいに 整備されとるんよ

慶応3(1867) 喜佐方村の庄屋に生まれたんと

盟友秋山真之から 「日露開戦近し」の情報を得て

巨万の富を得たんと! 

山下汽船の山下亀三郎 郷土の発展にも尽力

現在の吉田高校 三瓶高校の創設者なんと



村井保固 嘉永7(1854)年

お船手組の藩士の次男として生まれ

17歳の時 村井家の養子となったんと

慶應義塾で 福沢諭吉の教えを受け

犬養毅 尾崎行雄らと 親交をむすんだんと

明治19年 日本陶器合名会社(ノリタケカンパニーリミテド)を設立

高級食器の輸出で 成功したんと

26歳の初渡米以来 90回も 太平洋横断しとるんと

屋敷跡に開設した 村井幼稚園は 現在も健在


清家吉次郎 慶応2(1866)年 喜佐方村生まれ

山下亀三郎とは 一つ違いの乳兄弟で 竹馬の友

南予の教育界で活躍後 政界へ

町長から衆議院議員へ

五・一五事件直後の臨時国会での 荒木首相への質問で

清家吉次郎の名を 全国に知らしめたんと

短歌 俳句 酒 謡 菊づくりを愛した 趣味人やったんと


結人 吉田藩人物伝 6  雑記

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獅子文六はGHQの手が廻ることを恐れて

前妻(亡・フランス人マリー)との娘を連れて

妻の実家 岩松小西家大畑旅館へ・・・

その時の娘の縁談を題材にした小説が 

NHK朝の連続ドラマ第一回放送の 「娘とわたし」なんと

その時の娘の結婚相手は 吉田伊達家の御曹司やったんと


司馬遼太郎は 宇和島を愛してもろうたんで有名やけど

吉村昭はそれ以上みたいで 50回以上も 来宇しとるんと

お気に入りは 吉田の横堀食堂の ウナギ

同行の三輪田俊助の 横堀食堂のスケッチ



横堀食堂は 横堀川の河畔 桜橋のたもとにあった大衆食堂

店主自らが採る天然鰻の蒲焼が 看板メニューやったんと

S53年発表 「闇にひらめく 」その中の短編「海馬・トド」は

店主(八十島伊勢太郎)の話から構想した 小説なんと

この短編を 映画化したんが 今村昌平

1997年カンヌ国際映画祭で パルム・ドール賞を受賞した 

「うなぎ」(役所広司主演) やったんと

本も映画も見てないけど それなら知っとらえねえ

横堀川 上流から・・・


横堀川 下流から桜橋を・・・


宇神幸男先生の お話を聞いて

ザーッと 紹介した 吉田藩

忘れたとこは 本を参照さしてもろうたんやけど

あたしゃの記事より 本を読んだほうが 面白いんよ

興味のある方は ぜひ 読んでみさいや


11月3日(日)は 吉田町の地方祭なんよ

地域の人々に伝承されとる お練りがあるんで


早朝の 八幡神社 卯の刻相撲 神輿だしの様子も見たら

行ってみとうなるかなあ・・・ そうやとええなあ・・・ 

祭りの幟 発見

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日曜は 雲ひとつ無い日本晴やったねえ

お昼前に 日吉方面へ 向こうたんよ

お祭りの 幟や!

帰りにちょっと 寄らしてもろうたんよ

三島地区の 橋を渡って・・・・・

どっちに行こうかな・・・・・

向こうの方に 幟 発見!


これや これや

とにかく 登ってみんことにゃ


結構 登らされて あの辺やろうかね


ここかな?・・・

いやいや 違うみたい


これは すごい!

長~い 藤棚のトンネル 

50mくらいあるやろうか


今度こそ やっと 到着したみたい

車でも 上がれたみたいやね


最後の 階段を登ると


着いたんよ

後で 聞いたとこによると

ここは 延川 白王神社 やったんよ


ネタになって 良かったね


続いて 幟発見!

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いきしには 目立たんかったけど

もどしは あちこちに 幟が・・・三島神社へ

登り口の社誌の碑には

「嘉元3(1305)小松城主松本常陸守大山祇神社より勧請」

と あった


急なな 石段を登ると


社殿へ


彫刻が 見事!


ぎょうさんな絵馬も 奉納されとる 


軒瓦が おもしろいけど


これはもっと 気になる

なんゆう瓦かねえ?

「OKマーク ゆうんやないか」

・・・そう 見えんこともないけど・・・





ご神木の杉の木・・・でっかいねえ


ここは 久保とゆう地名みたい

このくらいにして さあ帰ろ


秋祭り 一宮様宵宮

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宇和津彦神社の 宵宮

やっぱし 夜は 雰囲気もええこと




東北から伝えられたとの 八鹿踊り

東北の鹿踊りに馴染んだ人は 驚きよんさったんでー

全く 違うようなんやもん

変声期前の少年の声が 夜空に吸い込まれていくんよ


こちらのリンクが 東北の鹿踊り

たまげるやろ?

八鹿が 地域色があるように

鹿踊りもいろいろで たくさんの流派があるみたいやね

寒さ厳しい北国で 荒々しゅうに 変化したんやろうかな


おしまいに 可愛い巫女さんの 白鷺の舞を 見てやんさいや


他にも 牛鬼や獅子舞の 奉納もあったんよ

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