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Channel: 愛 編む ばあばぁ in 宇和島
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布ぞうり 24.0

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三姉妹用のぞうりより 先に 手掛けとったんよ

やけど 鼻緒付けのところで ストップ

ひと月ほど 編みかけのまま ぶら下げとったんよ

やーっと 仕上がったんでー! やれやれ・・・





古文書通信講座

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土佐山内家宝物資料館から

来たんよね 悩みのタネ

つまらんことで 悩みとうはないけん

こんな悩みなら まあ いーっか!



古里ゆかりの偉人たち 愛媛新聞より

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朝潮ゆうたら 現役親方の顔が 思い浮かぶよね

あたしゃの 朝潮は

眉毛も モミアゲも 胸毛も

モジャモジャひげだらけの お相撲さん

漫画になりやすい お顔しとんさったんよ

なんと 初代朝汐は 愛媛出身やったんと


吉田のお祭り 1 卯の刻相撲

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11月3日は あちこちで お祭りがあるんよね

今年も早起きして 吉田南山八幡神社

卯の刻相撲に 行ってきたんよ

家を 5時に出て・・・


去年は 朝の冷え込みが 厳しかったんやけど

今年はぬくうて 見物も楽なかったんよ


いよいよ相撲の始まり


夜の撮影は 上手いこといかんので

動画で ほんの少しだけ・・・

太鼓が打ち鳴らされる中の 土俵入り


さあ いよいよ 取り組みでー

地区を 東西に分けて 2回づつの三番の取り組み

力士は神様 勝負はつけんのよ

「相撲のはなじゃあ」で 行司が中止するんよ


三番目は

「いずれも名人同士にて勝敗決せず
                   この相撲明年まで預かり」・・・・・・・


相撲が終わって 行司と力士さんでの 神輿の蔵出し


三台の 神輿が揃うた頃

何時の間にやら 明るうなっとるんよ


吉田のお祭り 2 鹿の子

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古かろ 昭和の幟 それも11年

ほんとやろうかね 信じれん

よっぽど 保管が良かったんやね


暗いうちから 門付けにまわっとった 鹿の子も

7時半頃には 神社に上がって来るんよ


お祓いしてもろうてから 奉納の舞


頭も違うし 子供2人と大人5人の 七ツ鹿

ちょっと 宇和津彦神社の八鹿とは 雰囲気が違うんよね


「いざ 帰ろ」と 言いよるんやろうか

踊りの最後は ペコリ


実はなあ 八幡様の鹿の子奉納は 特別なんよ

お祓いの後 下に降りて 何するんやろか?思うたら

鳴き声の笛を吹いて お社前に集合するんよ

それから 奉納の踊りになるんよ

目を覚ましたばかりの野鳥達も その笛に応えてな

ほんとにまあ 素敵なんよ 

言葉では表現が難しゅうて・・・ 動画で見てやんさいや



吉田のお祭り 3 宮出し

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宮出しは 8時半

それまで 鹿の子の追っかけをして 門付けを見たりして


 フルバージョンの七ツ鹿を FBに動画でUPしたら

「抑揚は違いますが 歌詞がほぼ同じです
                 やはりルーツは同じなんですね」

東北の鹿踊の方から コメントもろうて感動したんよ



しばらく お宮の下で 待っとると・・・


相撲のおじさんと おしゃべりも楽しめて・・・


餅まきのお餅とも ごたいめ~ん

ところどころに ビニールに入っとるんは 景品付き


可愛いい 巫女さんも パチリ


やっと 三体の神輿が 降りてきたんよ


行ってらっしゃ~い


吉田のお祭り 4  しだみこし

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卯の刻相撲を見るために 早起きしたけんな

今年の祭の目的の お練りは 昼からにして・・・が

気になるとこが あったんで いにしに寄ってみたんよ

大浦から黒瀬峠を超えて 海岸へ出たとこ

そう 吉田からの帰り道 知永には「しだみこし」 があるんと

門島神社と書いて 「とじま・・」

その昔 戸島から流れ着いた石を御神体として

祀ったんが 始まりなんと


集落の細い道を 知永峠の方へ 登ったら

この目印みたいな アボカドの木の 少し向こう


ちょうど 国道知永バス停の真下辺り


神社の境内で もう 作り始めとんさるよ

「おじゃましま~す」「ちょっと見せてやんなせや」

朝早ようから シダを取ってきて

青竹の骨組みを シダで飾るんと


シダの大きさを 大中小に選別して

紐で結びつけよるんやけど

昔は ヘクソカズラで 結びよったんと


四隅の びろ~んと伸びた竹は 後でクルッと丸めるんよ

その四隅とテッペンには シダでこさえた鳳凰が飾られるんと


ちょうど 鳳凰をこさえよんさるやね

嘴には稲穂と赤唐辛子を くわえさせるらしいんよ


だいぶ様になったきたねえ


隣では 牛鬼も組み立てられとる

昼からは  集落をまわって

しだみこしと一緒に 各戸の家に突っ込むんと


資料の写真より 骨組み


同じく 出来上がりの写真

翌年の 初祈祷(村境に大わらじを おさめる日)まで

年番の家で保管するんと

それを 「お日待・おひまち」言いよんさった


しだみこしを担いで歩くと 鳳凰の羽が ひらひら揺れて

よいよ かわいらしいんと

昼からに備えて いっぺん いなんといけんので・・・残念!

また 来年からの楽しみができたわい

吉田のお祭り 5 おねりの街景 

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楽しみにしとった 吉田の「おねり」

藩政時代から 300年以上の歴史があるんと

町内の八か丁から繰り出す山車を 「おねり」ゆうんと

午後のおねりの前に 町をぶらりと 探検に・・・


安藤様の付近では 境内まで 屋台がたくさん出とるんよ


その前の駄菓子屋さんは 忙しそうやなあ

ええ大人の人も 群がっとんさったでー


商店街には 日の丸がずら~り・・・


着物姿の方も 多かったんよ


こちらは 四つ太鼓


牛鬼の顔も ほっぺが膨らんで

宇和島とは 人相(鬼相)が違うねえ


御船手の 御船(御座船)のおねりは

今は 老人クラブの 担当なんと


関羽のおねり 

雨が強ようて いけなえねえ

ビニールで覆われて せっかくの豪華な幕が見えんがなあ


下の座から 三味の音がするんは 風情があるねえ


三体のお神輿が ちょうど 突っ込みよる

ここは お花も はずんでもらえるんやろうな

ちょうど 角になっとるけん

ここで 威勢のええ 曳きまわしでも見物しようかなあ


おぉー 先頭の 徒歩の一行が・・・


猿田彦は 一本歯の下駄で 上手いこと歩きよる

この前に「それで 歩けるんかな?」と 声かけてみたら

スイスイ前後に歩いて パフォーマンスしてもろうたんよ 


よいしょっとっ!・・・ 以外に簡単に方向転換するんやね

ほやけどやっぱりビニールですっぽり・・残念無念!



吉田のお祭り 6 ラスト

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ホタ(宝多)も ビニールに覆われとるんよね

しゃあない 移動してと・・・


桜橋のたもとでは 観覧席が設けられとるんよ

物凄い人込みを抜けて・・・・・


橋を渡って 待ちよったら・・・・・


静かに おねりが 通りすぎて行くんよ


んん~?


このおねりは 魚棚弐丁目の 太閤秀吉

今年復活 お披露目しとる

ピッカピカやねえ

嬉しいんやけど もう少~し時を経た方が

しっくりした風情が出て 好きやなあ

いっときしたら 馴染んでくるやろううね


振舞い酒とお茶の おもてなし

ほんで 着物姿の人が 多かったんやね


桜橋をもんて・・・  

幟が通過したら 最後やけんね


二頭の八幡ボタの お清めが始まったんよ

神輿が来るで~ 


雨で豪華なおねりは 見れんかったけんね

走り込みでも 動画で 見てやんさいや


おっとっとー あぶなかったねー

この後 餅まきがあったりして・・・


まだまだ 祭は続くんやけど

朝が早かったけん いんでこうわいね



豪華さでも 賑やかさでも 他所によう知られた 祭があるけど

ここ吉田のお祭りは 素朴で祭本来の姿が保たれて

ず~っと 伝承されとる気がしたなあ

吉田人の 心意気 あっぱれ!

東北の「口寄せ」 

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若い頃は 占い的なものにも 

な~んも興味がなかったし

まして 「口寄せ」なんか 否定的やったんよ

月日を重ねて 大事な人との別れもしてきたけんね

ちょっと 経験してみたかったかなあ・・・・・


城守 ヤブツバキの種植え

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雨が降っとったんやけど

登城の前には すっかり上がって 

いつもの 児童公園


実生から育てた ヤブツバキ

なんか 元気がのうなっとる


今年も 種から育てるんよ


単純な作業の合間には

お亥の子さんの 思い出話で 盛り上がって

「十~でとって お~さめた イエ~ィ イエ~イ」の

後に続く 歌も飛び出て・・・

思い出すには ちょっと時間もかかったりして・・・

この場には 書けんような 歌詞もあったんよ

今度また 思い出して 歌とうてもらお!


あっとゆう間に


あら これは?

昨年 種を植えた 「め・じ・ろ・ほ・う・ず・き」かもしれんね 

「イノコズチ」やと いわれたんやけど 覚えてないんよね

そんなん 植えたんやろうか・・・?




この日採れた ヒラタケ

分前 いただきましたよ



結人 歴史資料館にて

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城守の後 午後からは「結人 」

宇和島歴史探訪マップ 「ぶらり」の4コース 

宇和島ゆかりの人物を加えて

改訂版が できそうなんよ

絞り込みに ワイワイ ガヤガヤ


今年の結人担当者 撮影にも 頑張っとんさるよ


ああでもない こうでもない・・・

どうにか コースにつなげて 仕分けもOK


この方 話をしながら 手も動かして

御駕籠制作中

ほどほどに しとんさらんと また病気になるでー!


近永のお祭に出会いました

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日曜の夕方 鬼北町の奈良の辺りを 

車で走らせよったら 牛鬼がまわりよるんよ

ほうよ 近永のお祭りやけん 寄ってみょう

取り敢えず 商店街へ行こうとしたら 通行止め

右に折れたら 駅前へ

ありゃ 牛鬼が首をすくめて 休んどる


駅前広場では 親子共演の太鼓


この子があんまり 可愛らしいんで

思わず 撮影お願いしてしもうた


その後 この子は 四つ太鼓にのせられて・・・


抱っこされて 牛鬼との鉢合わせに 一発お披露目


子供を降ろした後は おもいっきり 何度もぶつかり合うて

激しやなあ 牛鬼さんのお尻は バキ~んと音がして・・・


少し 追っかけをしてみたら・・・

もう 弓瀧神社に お宮入り

もっと 早うやったら 鹿の子も見えたのにねえ


まあ 目的はこれやったけんね 

新米GET! 任務完了


鼻緒立ての制作

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ぞうりが編めたんで 鼻緒立ての制作に・・・

この色でいいかな・・・

✂でチョンと切って ミシンでチャーっと縫うて・・・

ループターンでひっくり返そうとしたら・・・

あぁ~あ 生地が滑らん!

苦労したんよ

指先が痛とうなってしもうた


やっと完成

ひっくり返しよる間に

お洗濯が一回済んでしもうたがなあ


布ぞうり 25.0

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大きいサイズで 編んだんよ

浴衣地は 素足に気持ええんよね

ねじり鼻緒は 「固とうて痛い」思われとるけど

鼻緒立てで どうにでもなるんよね


ただ 裏で縛っただけやけん

自分で簡単に 直せるんやけどね

ちょっと 緩めにこさえたんよ

ふっくら肥えた足には ピッタリンコよ



宇和島市役所ロビーにて

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ATMは市役所で・・・近こうて便利なんよ

ロビーでは 何やら・・・

これが 水撃ポンプ?


洗濯機を使こうとる時 

給水が止まった時鳴る 「ゴン」とか「ドン」の音

この時の衝撃を利用して 弁を開閉させて

水をくみ上げるんと

電気モーターやエンジンなどの動力や

水車や風車も使わず 水をくみ上げる

ホームセンターに置いてある 安価な材料で制作

いろいろと 説明があるけど・・・

あたしにゃ サッパリ チンプンカンプン


立間公民館の 依頼で始まって

吉田高校機械科が 製作したんと

なかなか やるじゃないーね!


布ぞうり 24.0

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日曜日やね どうしようかな・・・

時間の振り分けが たいへんなんよ

取り敢えず 午前中は 「そこどこや」龍華山へ・・・

後は行きあたり バッタリ  気分次第にしようかね


布ぞうりの紹介で いつも思うんよ

画像の色って 少~しだけ ちゃうんよね

も少し 緑がかっとるんかな



忙しかった日曜日

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午前中は「そこどこや」 龍華山等覚寺へ

ありゃりゃ 山門の松

やっぱり 片っぽう だけになっとる


左右に植えられとったのに・・・



さみしやねえ 今年の夏の猛暑は ひどかったけんね


先ず座学で・・・ もろうた資料を元に お勉強


伊達家墓所学習の報告は 明日からね・・・

「そこどこや」の後

大好きな 狭い路地を抜けて 出たとこは・・・


こちらで ホットサンドのお昼でも・・・

あたしゃが高校生の頃

ここは酒屋さんやったんよ

「そこどこや」の 講座からの流れの人も多くて

お店は大繁盛

ありゃまあ! 雨になったがなあ


すぐそこやけんね

昼からの坐禅会に やっと間におうたんよ

ここ金剛山大隆時も 伊達家墓所なんよ 


お庭のモミジも だいぶ色づいとるね


いつも座禅が終わったら 皆でお茶をいただくんやけど

本日は失礼して スルー

次は 城山へ・・・

雨もこぶりになっとるんで 助かった!

年末行事や 来年の予定のお話・・・


こちら製作中の 千分の一のお城山の模型

影◯さんは お城の模型もこさえさったんよ

出来上がりが 楽しみやねえ


山を降りても まだ一つ 大切な用事があったんよ

弾丸みたいな 一日やったんでー

そこどこや 伊達家墓所について 龍華山 1

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龍華山等覚寺にて・・・

初代秀宗が生母飯坂局の菩提を弔うために

元和4(1618)年 白雲山竜泉寺を開山したんと

万治元(1658)年 秀宗の廟所となり 浄妙山等覚寺と改称

宝永7(1710)年 山号を 龍華山とあらためたんと

寛政3(1791)年に出火 本堂庫裏が焼失

その後 村候の死去と大隆寺の開基があったので 再建難航

天保3(1832)年頃には 伽藍が復興されとるんと

本堂は戦災におうて焼失 山門は明治27年の建築なんと

この日は 葬儀と法事が・・・

ちょっと 静かにしとかんとね


渡された資料 西墓所と東墓所の地図



明治元年 絵図


明治35年 銅版画


さあ 西墓所から 案内してもらおうかね

門の向こうが 伊達家墓所なんよ

お城が見えとるんが わかるかな~


門をくぐって すぐ左手

手前の小さいんは おいといて

手前から 秀宗長男の墓 秀宗生母の供養墓

そして 政宗の供養墓と続くんよ

あとは 二代から五代までの子女等の墓が並んどるんよ


そのむかい 山門右手の一段高い所が 秀宗墓所 

秀宗は万治元(1658)年6月8日死去

法名 等覚寺殿義山常信大居士

そんで 地元民は 「龍華山」と山号で呼ぶんよね 


銅版画の拡大図


さあて 秀宗墓所に 上がらしてもらおうかね


そこどこや 伊達墓家所について 龍華山 2

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初代秀宗の墓


両脇には 左右二基づつ 殉死者の墓


隣の三代夫人 美保姫の墓

墓も灯籠も 一見似たように見えるけど

時代によって 少しちがうんよね


下がって 奥へ


奥が 四代村年の墓


その隣は九代夫人の墓

向かって右は孝姫 左は佳姫


佳姫の婚礼の見事な御駕籠は 時々見とらえね

出羽久保田藩佐竹家の 日の丸扇の家紋


墓石が砂岩か花崗岩か 

はたまた ちょっとした形状の違いや

五輪塔から笠付塔婆への 変遷

こまこうに 説明してもろうたんやったんよ


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