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Channel: 愛 編む ばあばぁ in 宇和島
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遠見山から吉田へ

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三角点のとこが 明るくうてええかな


さあ 豪華お弁当!

あたしゃ 一人のつもりで おかか入り海苔巻き2本やったんよ

姐さん いっぱい詰めて来てくれたけんね

そこら辺の枝で お箸をこさえて・・・・・「いただきま~す」


姐さんと二人 こうやって山をこぐんは 十何年ぶりやろか

ノリのええ二人のコンビ

「高串に行きたいんやろ?」

「うんにゃーそうでもない 二人連れやけん
         吉田に降りたほうが 後が面白そうやねえ・・・」

木々の隙間から チラチラ見えとる吉田の街を見たら

そっちに向いて 降りとうなったんよ

気分次第で コロコロ予定が変わること!


「ほんなら そうしょうや」

しばらくすると 又も 合体の・・・


「君ケ浦」方面のみかん畑に 出てしもうた

「ちょっと待てよ こりゃあ つまらん」 と 方向を変えて・・・

何処もかしこも急傾斜 十何年前とは違うけんね

気分は変わらんけど 躰はずいぶんクタビレとる

なんとか 一番ゆる~そうな?谷を選んで降りて・・・

「思い残すことは無いかね?」

「無い無い 楽しかった」

「よう助けんけんね 怪我せんように気を付けてや・・・」

「ありゃ 放置林の竹薮がある 
               なるべく 歩きやすいとこ 選ぶけんね」

心配したほどでものうて 30分くらいで無事に降りれたがな

向こうが 明るうなったもんね


ほっ!


向いの山の ハゲたとこが 気になる・・・

あれなあに? 画面右上やけど・・・


この細い道が街道のような・・・

ちょっと待って!

山をこいだら 平地の歩き方を忘れとる

おいおい 二本足の筋肉細胞君 早よう思い出してや!

普通に歩く事に馴染むのに 何十歩か掛かってしもうた


第一村人発見!

「渡ってみさいや 崩れるでー!」と 言われたんよ

ホントかいな・・・脅かされたんちゃうかいな・・・



吉田に降りて来ました

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おや 満開の花が・・・

これって? ぐゆみか何か?


ここは 見覚えがあるねえ

僧「日述」のお墓があるとこやろ


「さかえばし」も懐かしや~


長福寺は あたしゃ初めて


裏に廻らしてもろうたら・・・

ほんとよ 大きな橘の木に 実も仰山なこと!


足元には シャガの花


あれっ 幟がたっとる

安藤様のお祭りの幟らしい

「まだ早いけど 日曜しか 人手がのうてねえ」


「お八人様は 何処でしょう?」

「そこを右に曲がって すぐ左に入って 又右に行って
 左に行ったら 階段上がったとこですらえ。銀杏の木
 がありますけんな~し。すぐ わかりますらえ。」

えっー!前に来たとこやがな

下からは 銀杏の葉が茂って ようわからなんだんやなあ・・・


左の白い椿 なんとも可愛らしかろ


右手は 赤みが強いみたいやね

あら 椿の精かしら・・・・・


吉田「大学食堂」の女将さん

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山歩きの格好で 吉田の街を散策

安藤様にお参りしたり

結い人メンバーの家を襲った?り

この旧い 家の前には


喫茶店 「シルビア」


姐さんの襲撃が 怖かった?かな

お留守やったんよ


「お昼の忙しい時間を避けて 来なはいや」

大学食堂の女将さんとは 昔 ご近所さんやったんと

姐さんまだ 髪が黒い時の事なもんで 感激の再会

波瀾万丈ドラマのような過去を 面白く語ってもらって・・・

「TVの取材は断りよるんよ これ以上忙しなったら
 もう仕事ようせんし こまるんよ」

「えっー!遠見山に行っとったん?子供の頃 遠足で
 よう登ったんよ。いつも 牛の背ゆうてハゲ山のとこから
 登りよったんよ」

んん~? あの ハゲ山が牛の背?・・・

この辺では 背は開けたところ?・・・

そしたら 虎の背は岩場のとこやったかも・・・


バスで帰るつもりやったんやけど

知永まで歩いて もんてしもうた

姐さん「アボカドが気になる・・・」と

あの階段を 降りようとしとったんやけど


「いけんよー もうすぐバスが来るでー」


初夏になると 低山の山歩きは いやなんよ

防虫対策しても 効き目はないし

水もたっぷり 持っていかんといけんしね

久しぶりに山を歩いて 心も脚も喜んどったんよ

参考までに・・・・・

調査に遠見山に登る時は 車を利用して

大信寺からの農道を登って 君ケ浦のみかん山の

農道をてっぺんまで登って そこから歩いて目指すと

ちょっとだけ傾斜が急なところがあるけど  すぐですらえ

布ぞうり 23.0

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日曜日の雨は いややねえ・・・・・

今日の 布ぞうり


生地の種類も厚みも違う 3種類の布で編んだんよ

布ぞうり 25.0

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前作と同んなじ なんやけど・・・


大きさを変えただけ やけど・・・・

間違えたらいけんので 鼻緒立ての色を変えたんよ


たまには 裏も 見てもらおっと


城守の日

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日曜日の午前中は 城守例会

ほんとは作業も したかったけどね

雨やったけん 郷土館で打合せ

桑折長屋門と上り立ち門の 案内看板が新調されとる


クスノキは 年に一度の お着替え中


しばらく迷惑掛けとった ぐぜたところも修復完了


そばには 排水口もできとった


本丸天守裏にまわると あらまあ


ついに出来たんよ バイオトイレ


お昼に一度下山して 午後は特別講座のため登城

つい先日もTVに出演されとった らしいんやけど

三浦正幸先生の お話が聞けたんよ


今まで知らんかった事も ぎょうさん教えてもろうたんよ

さあ 覚えとるやろうかね

明日から ボチボチ紹介すらいね

三浦正幸先生のお話より 1

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いただいた資料は 先生監修本の抜粋コピー

「資料は帰ってから ゆっくり見てくださいね」


東京美術出版 定価2,000円プラス消費税

お城に興味ある方は ぜひ購入をされてみては・・・


先生のお話は とても早口で滑らかやったんよ

「天守と櫓(やぐら)の違いは?」

信長が三階や四階建ての大型の櫓を 書院造りの豪華な建築へ

それを「天主」と命名 その後「天守 」と書くようになったんと

徳川時代になり 元和元(1615)年の武家諸法度により

城の新築の禁止 修理することも届け出が必要になったんと

櫓の名目で届けて建てた城もあるんと

正式には 武家諸法度以前に建てた城が 天守となるんと

「現存12天守の中にも ほんとは櫓のがあり・・・・・」


城主が天守に登閣するんは 初のお国入りに時だけなんと

天守に籠城するのは 死を意味する(合戦の最期)事に・・・

縁起がよくないので 登閣するんは稀なんと

お国入りの度に登閣する 城主もおったんやけど 

ゲンを担いで 最上階までは登らんかったんと 

急な階段・頭をぶつけそうな梁・暗い室内

天守は威厳を見せつけるもので 外観に意味のある建築なんと

三浦正幸先生のお話より 2

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「天守の構成」

慶長期(1596~1615)になると 防備強化のため

小天守を櫓で接続したりして 複雑化の一途をたどり

元和元年(1615)年以降 泰平の世になると

実戦より火災の 延焼から守るため

独立式が主流になったんと


「入母屋破風(いりもやはふ)と千鳥破風(ちどりはふ)」

入母屋破風は 本体の屋根に連続しとるんよ

千鳥破風は 屋根に置いただけの飾り

破風の中にできる妻壁の意匠を妻飾りゆうんと

初期の破風には 実用も兼ねとったんと

一番重要なんが 明かり取り

そして破風自体の内部を 屋根裏部屋として

敵に対する射撃の場と なっとったんと

飾り立て 格式を高めるだけでのうて

防御と採光の機能も 兼ねとったんやね


「望楼型と層塔型」

入母屋造の建物の基部の上に 別の建物を載せた形式が

望楼型で 大型の入母屋破風が必要となるんよね

層塔型は五重塔や三重塔のように 屋根を四方に葺き下ろして

最上部にしか 入母屋破風はないんよ

望楼型は層塔型に比べて複雑やのに 

成立時期は なんで望楼型天守の方が 旧いんやろうか?

層塔型の天守は 望楼型より30年程遅れとるんと

その原因は 天守台の石垣にあるんと

慶長15年頃までは 石垣を築く技術が未熟で 

石垣の隅が直角の 長・正方形に築けれなんだんと

初めての層塔型天守は 藤堂高虎が考案

慶長13(1608)年頃建造した 今治城なんと

現存12天守で 見比べてみてや


「柱と梁」

天守の柱は 一般的な現在住宅の 断面積は十倍

八十倍以上の強度があるんと

こんな柱が 一間ごとに建っとるんよ

一間は 京間の六尺五寸(約2m)

通柱(とおしばしら)を用いた例も ないことはないけど

部材が大きいので 各階独立させても 耐震性は充分なんと

下図は 一階部分の天井を高くして

上の階の窓に手が届くように 工夫された梁組の説明


いよいよ 宇和島城についてのお話に・・・・・


三浦正幸先生のお話より 3

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こちらは 先生復元の 高虎の創建天守

慶長六(1601)完成 板島丸串城

自然の岩山を利用して 建てたんと

望楼型天守 各階平面は完全な正方形なんやけど

左右不対称に突出部があって 複雑なんと

高虎の層塔型天守の創案の 下地となったらしいんと



高虎創建の天守も 半世紀を過ぎて 修理が必要に

宇和島伊達家  二代藩主宗利の頃

寛文二年(1662)幕府へ 修復の届けを出すんと

寛文六年に 完成した再建天守は

初重平面が六間四方と 三重であることだけが

旧天守と一致 構造も外観も全く違うんよ

天守台切込接(きりこみはぎ)の石垣には 幅の広い犬走りが

史料と石垣の特徴から 万延年間(1860~61)の

修理時に 積まれたらしいんと

平和な時代に築かれたため 開放的な玄関が付いとるんよ


外観三重・内部三階・高さ15.7mの層塔型天守

現存天守の中でも 秀逸と言われる均整美

初重の屋根には 東西面に 比翼千鳥破風を

                        南北面には 千鳥破風を

二重目には    東西面に 千鳥破風

                        南北面には 据唐破風

三重の屋根には 二重目の千鳥破風の屋根が

当たらんように 軒唐破風でおさめとる

破風の妻壁は塗籠 防火性を増すんと

飾りの破風・窓の位置・屋根の形状も 左右対称

窓は天守には稀な 引き違い戸

柱の関係で 窓の半分は意味が無いんよ

窓の上下には 長押(なげし)と水切り


鶴が降り立つ姿になぞらえて

鶴島城と称されるようになったと 言われる宇和島城

さあ 標高74mの本丸まで登って お城見学といこうかね

三浦正幸先生のお話より 4

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ほんとに 御洒落やねえ


軒唐破風と千鳥破風の間 何やら四角いところが・・・

なんと為のものか?やっと長年の疑問が解決したんよ

排煙窓なんと


さあ 天守の中へ・・・

画像はほとんど 以前UPしたものを使用しとるんよ


履物を脱いで 振り返ってみた 唐破風玄関内部



一階六間四方の 天守の外側には 幅一間半の武者走り

その内側に 障子戸で仕切られた 三間四方の部屋

十分の一の精巧な 天守模型

万延の改修時に 作られたらしい 

一階の天井は高くしとるんで 二階の窓も使いやすいよねえ

鴨居の上部には更に明かり取りの障子

これも 珍しいんと

一階天井は 二階の床になっとるんよ


この部屋には 畳が敷かれとったんと

奥に見える武者走りの床は 部屋に向こうて ぐる~りと 

すべてが 直角になるよう 貼られとるんよ

武者が走っても 滑べらんためなんと


階段は 踊り場付き

欄干には寺社建築並みの細工がされとるんよ


床を見たら 釘じゃないんが わかる

二階は 武者走りは幅一間に縮めて 五間四方

三階への階段は 踊り場はのうて 急なんよ

三階は ほぼ四間四方の一部屋


引き違いの窓の格子は 五角形

所々 格子を外して 屋根に出られるようになっとる

この五角形の形は 銃を構えた時

より広角的に 射撃できるようになっとるんと

クリックして見たら 排水の穴も見えるよ 


窓の下には 2丁分の鉄砲掛け

旧いままの鉄砲掛けが残っとるんも 珍しいんと 


三階の天井には 角を面取りした竿縁を用いとる

猿頬(さるぼお)天井とゆうんと


これが 排煙窓を中から 見たとこなんよ

玄関面と裏面に 二箇所あるんよ

引き違い戸を 開けてもろうたんは 初めてやった

感激やねえ!

当時は鉄砲を一発でも発砲すると 煙がすごかったんと


先生の説明が面白うて 一緒にまわる観光客の方々も・・・

「あの人 この前 テレビに出とった・・・」などと・・・

中でも高知から 母君と来られた高校生

先生のファンだとかで 感激もひとしお

握手したり 一緒にカメラに収まったり サインしてもろうたり・・・

これで将来の道が決まったか?なあ・・・・・


いよいよ このレポートも 明日で最終回

三浦正幸先生のお話より 5

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いつも城守で 使かわしてもろうとる郷土館

弘化2(1845)年 8代藩主宗城の時代

現宇和島郵便局の一郭に 武器庫として建てられたんと

「武器庫と倉庫の違いは?」

普通の倉庫は 床が土間なんと

ほうやねえ米俵を収めたら 床が抜けてしまうかも・・・

「現存の武器庫は 全国的にも 2カ所だけです」

中央の入り口は 玄関に改修されとるけど


3ヶ所の入り口があり 部屋も三部屋に分かれとったんよ


ホゾ穴の跡も残っとるんよ


二の丸から 本丸に登る階段には

櫛型(形?)門があったんと

櫛の形の門? どんなんやろうかと ずーっと?やったんよ

寺社仏閣にある へんてこな形の窓があるやろ

その花頭窓(かとうまど)のある 門やったんと

窓の格子が 櫛の形に見えたんかねえ

因みに 花頭窓は「火灯窓」やったんと

木造建築では 火は一大事 花頭窓になったらしいんと


石垣・石段には 柱の跡が残っとる 

その上側には控柱跡と その又上側にもう一度控柱跡が

もちろん両サイドには 櫓があったんと・・・・・

想像しただけでも びっくりやねえ  


上り立ち門へ

武家の正式な門 薬医門形式なんと

表側には長方形の鏡柱 控えは正方形

冠木(かぶらぎ)も表は方形 控えは円形

屋根は門扉が濡れんように 後ろが長いんよ

創建時代を考察すると 貴重なもんらしいでー

薬医門は屋根が大きいんで 防御や攻撃に弱いんと

関ヶ原以降は 完全に高麗門に変わったんと

高麗門は 冠木の上に直接屋根を載せて

控柱の小屋根に 雨水のかからんように収めとるんと



この画像は 当日のもんやね

「いいですかー ここまではわかりましたね?・・・」
「素晴らしいですね・・・珍しいですね・・・」
「格式高いですね・・・」
「ここだけですね・・・他にはあまりありませんね・・・」
「自慢できますね・・・」

先生の口癖なんよ

地元の人に 古建築を愛してもらいたいんやね

まあ 悪い気はせんわなあ


門は 必ず内側に開いて

閂(かんぬき)は内側から見て 左から右へと通すんと

閂鎹(かんぬきかすがい)は 左門扉に2個 右門扉に1個

閂鎹の先端は扉の表面に突き出して 先を折り曲げ

乳金物で隠されとるんよ


今まで教わってた事も・・・ 初めて知った事も・・・

こんな視点でお城に登ったら ますます興味深いよねえ

さあ お城に登って確かめてみてやんさいや!
 

城川町窪野 三滝祭り

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「どろんこ祭り」で知られとる 城川町

そのまだ奥の三滝の山を ぐんぐん登ったところ

春祭りには珍しい鹿踊があるんで やってきたんよ

車窓からは 一面にシャガの花を楽しんで・・・

明るく開けたところに着くと 立派な銀杏の木が・・・

この銀杏の木を煎じて飲むと オッパイがよう出るらしいよ


この辺り 旧三滝城の二の丸にあたるんと

天正の頃 三滝城主「紀親安」が長宗我部元親軍に攻められ

銀杏の木の下で 自害したんと

木の元辺りには 辞世の句碑

「蔭山の花はさけとも散りくちて 草の都の花さかり見む」

懇ろに祀られとる お堂の奥には


墓石やろうか


すぐ脇には 杉の大木も・・・


お堂の奥横は 旧い石段

かなり登るみたいやね


この石段 実に風情があるんよ


やっと 登ると

立派な 鳥居やねえ

左右の柱には 前後に控柱が・・・

屋根も付けられとるやねえ


三滝祭り 境内にて

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屋台が出とるんよ

その奥青いテントは 餅まき景品交換所

後ろの倉庫は


なかなか旧そうな石の階段


立派な お蔵やったんよ


拝殿では 神事が執り行われとる

しなった幟の竹竿が ええねえ


脇に目をやると


槍や毛槍 お鉄砲などが・・・・・

よ~く見たら 竹ミツ鉄砲やったんよ

甲冑具足もあったらしいんやけど・・・・・

昔はお練りが あったんやねえ


社殿の脇では 牛鬼の組立中


胴体に覆われるんは 蚊帳のような布


「この 火吹き竹みたいなんは?・・・・」

「えっー!これが ここのぶーやれ 宇和島のとは違うねえ」

手にして いろいろ吹いてみたけど

どこを吹くのかも わからんのよ


あ~あ そうやって 鳴らすんかな・・・

真似してみるけど スースー


社殿の石組み


社殿は 大きな屋根で覆われとったんよ


まだまだ 時間があるようで 

ぶーやれ吹きに 何度もトライさせてもろうたんよ

三滝祭り 八鹿踊りの準備

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鹿踊りの方も そろそろ集合みたいやね

昔は あの下のお堂から 歩いて登りよんさったんと

カメラにも気軽に・・・・・カッコええ 素敵な笑顔

「笹を背負いさるん? 」

「昔は なんべんも笹を背負ったけどなあ」

後継者ができたんやねえ


微笑ましい光景も パチリと・・・


続々と・・・ おおっ お若い方が・・・ 

たぶん笹を背負いさるんやねえ


これが衣装


先音頭と後音頭は この笹飾りを背中に背負うんよ


先ず 可愛い飾りの付いた草鞋を履いて


胸に太鼓を・・・


首で縛ってから バスタオルを胸にあてて・・・・


鹿さんに へんし~ん


唯一の 雌鹿さん


雌鹿さんは 後ろ姿も 可愛らしいんよ


笹は背中にさしてから 面をかぶるんよ

後ろ髪を笹と背中の間にいれるんが 大変そうやね


ワクワクしてきたでー!

三滝祭り 宮出し

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長老さん?から 声を掛けてもろうたんよ

「あんたら 昔を知っとんさるかえ 
 最初に おさるさんが出て来てな 様子を伺うんよ
 よっしゃー安全やと わかったら
 鉄砲や槍が出て お祓いしてな 祭りが始まるんよ
 そしたら下のお堂から 鹿がやって来てな
 祭り見物をするんよ」

お猿さん?ターザンみたいに登場したんやろうか

どうやらお練りが あったみたいやなあ

もうちょっと お話が聞けたら良かった・・・


準備ができて揃うたら 三周するんよ


鹿踊りの 踊り手は成年男子の8名 

先音頭(1) 庭入り(1) 雌鹿(1) 子鹿(4) 後音頭(1)


もちろん 朝から ご機嫌の牛鬼も 三周

酔々の牛鬼さん 2周やったかなあ?・・・


キャー びっくりたまげた


上半身は すっぽり隠れて・・・

手には ぶーやれを・・・

あたしゃにも 練習の成果があったんで 飛び入り

スースー ぶぉ~ ぶおお~

もうちょっと 修行が必要やね


お祓いを受けて・・・


三台の神輿の宮出し


「のいてやー ここで鹿さんが踊るけんなー」

出立のご挨拶の舞 みたいやね


どうぞ動画で ご覧あれ



三滝祭り 御旅所へ

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御旅所とゆうても すぐそこなんよ

ずーっと以前は 三滝城址まで 登りよったんと


民家もない お山の上のお祭りなんやけどね

この日ばかしは 賑やかなんよ


あたしゃ最近は こんな文様も気になって・・・


こちらの牛鬼さんは のんびりしたもんなんよ

鹿と牛鬼の頭は 今年新調されたんと

胴に比べて ちょっと 大きいような・・・


八鹿さん達は 面を外して・・・


先ずは 神事

お神輿は UPには耐えられないほど 気の毒な状態・・・


さあ 鹿さん 出番やね








八鹿は 仙台伊達政宗の長子秀宗の 宇和島入封がきっかけで

伝わったゆうんが 通説なんやけど

窪野では それより早い時期とゆう説もあるんと

後(文政10・1827年)に庄屋矢野惣左衛門が 仙台に出向いて

半年かけて 現在の八鹿踊りに仕上げたんと

道行き~庭入り~長唄~音頭の舞~小唄結びと流れて

40分ほどになるんと

県の無形文化財の指定を受けとるんよ

串屋地区が中心となって 保存に努めとるんと


三滝祭り八鹿 動画で楽しんで

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宇和島の八鹿とは ちょっと違うんよ

唄のとこだけ 動画におさめたんよ

宇和島の鹿さんとの違いが ようわからえ

長~いけんな 途中で水が入って 休憩なんよ


ところが こんな時に限って バッテリーが・・・・・

あ~あ 撮影は諦めて ゆっくり愉しもっと!

春の鹿さんに出会うんは 珍しいよねえ

いっぺん 行ってみなはいや

昔は4月17日 やったんやけど

今は4月第3日曜日 にしよるんと

いつもは静かな谷間に 祭りの音がこだまして

緑の中で際立つ衣装も なんともいえんのよ


最期は 恒例の餅まきで お・し・ま・い


鬼ヶ城山系が見えます

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あの マンションの解体工事


すっかり 片付いたんよ


ほらね 鬼ヶ城山系が・・・・・

でも今度はね むこうの屋上の水タンクが

ちょっと気になるように なったかなあ


お箸で つまんで・・・


とっちゃえー! ????????


宇和島城 スタンプラリー

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宇和島城スタンプラリーの お手伝いをしたんよ


あたしゃの担当は 郷土資料館前

大人用には 「この建物は 何のためのもの?」

子供用には 「入口は何ヶ所?」

ヒントを出して 正解へ導いて・・・・・

時には お喋りしながら 思わず答えを言ってしもうたり・・・・・

竹ボラにも 挑戦してもろうたんよ


おやおや どちらの役者さん?


一般観光客の方やった

写真撮影も 気軽にOK

こんな格好で ぶらりするんも ええねえ


昨日は 春風が舞って

パラパラ いろいろ 降ってきたんよ


幟旗 リニューアル

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女盛りの方が 結婚されると 耳にして

リニューアルしとうなったんよ 「女the刈」

一度 幟旗になったんを やり直~し

やっぱり 綿やないといけんみたい・・・

風雨に打たれて びろ~んと伸びてしもうたんよ

せっかくの渡部良彦先生の 文字が台無しやったんよ

✂を入れて 型をとって

1枚「縫書」してみたら・・・・・バッチシやん


4枚セットやけんね

「女the刈」も「男the刈」も 

チョキチョキして ジグザグ縫い縫い・・・・・・


これが元の 幟旗

出来たばかりは よいよ良かったんよね




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