城守 三の丸草取り他
↧
↧
「結い人」吉田ぶらり第3弾 その1
↧
「結い人」吉田ぶらり第3弾 その2
↧
「結い人」吉田ぶらり第3弾 その3
喜佐方はは 広いなあ
ここら辺は ちょうど お田植えの真っ最中
「むささび寺」と呼ばれとる 大楽寺へ
今は おらんらしいけどね・・・
本堂
その本堂の脇の 銀杏の木
元々 雌雄並んで植えてたところが 合体~!
部分的に ギンナンが付いとるんよ
枝が垂れ下がって 一目瞭然
不思議なことに あんまし 実が落ちてこんのと
昨年のギンナンは 黒っぽく
今年のギンナンは 緑色に
画像でわかってもらえるやろうか・・・
お庭も拝見
たしか土佐光起?だと 言われたんよ
どうゆう訳か たまげるばかり
「これじゃ 大楽寺やのうて 道楽寺じゃわい」
思わず 口から出て来てしもうた
「先代が カメラ屋さんを他人に まかしてたら 仕入れが過ぎて 」
いろいろと わ・け・あ・り・みたいやけどね
ここら辺は ちょうど お田植えの真っ最中
「むささび寺」と呼ばれとる 大楽寺へ
今は おらんらしいけどね・・・
本堂
その本堂の脇の 銀杏の木
元々 雌雄並んで植えてたところが 合体~!
部分的に ギンナンが付いとるんよ
枝が垂れ下がって 一目瞭然
不思議なことに あんまし 実が落ちてこんのと
昨年のギンナンは 黒っぽく
今年のギンナンは 緑色に
画像でわかってもらえるやろうか・・・
お庭も拝見
たしか土佐光起?だと 言われたんよ
どうゆう訳か たまげるばかり
「これじゃ 大楽寺やのうて 道楽寺じゃわい」
思わず 口から出て来てしもうた
「先代が カメラ屋さんを他人に まかしてたら 仕入れが過ぎて 」
いろいろと わ・け・あ・り・みたいやけどね
↧
「結い人」吉田ぶらり第3弾 その4
喜佐方から立間へ抜ける 石城下のトンネルの手前
「きなはいや」から ちょっとトンネルに近づいたら・・・
「・・・国鉄宇和島線の開通 立間駅設置の事あるを・・・
竹城下に隧道をと夢想するものあるを・・・・・・・・・・・・
山下亀三郎の全額寄附の快諾を得・・・・・・・・・・・・・・
昭和15年6月6日着工 同17年2月25日竣工・・・・・・」
その祈念碑に 隠れるように
当然 今では新しく立派なトンネルに変わってるけど
こらが 手掘りで掘りあげた「喜佐方隧道」の扁額
トンネルを抜けて 立間八幡様へ
「卯の刻相撲」の時しか 来たことないもんね
今日は 明るいけんね 右大臣様も
左大臣様も お顔がはっきりと・・・
お社
ぐる~っと 一周したら
最近 こんなところにも 目が行くようになったんよ
帰りの石段で見つけた ちっちゃな松ぼっくりみたいな物
クリスマスツリーのような木から 落ちとったんよ
「きなはいや」から ちょっとトンネルに近づいたら・・・
「・・・国鉄宇和島線の開通 立間駅設置の事あるを・・・
竹城下に隧道をと夢想するものあるを・・・・・・・・・・・・
山下亀三郎の全額寄附の快諾を得・・・・・・・・・・・・・・
昭和15年6月6日着工 同17年2月25日竣工・・・・・・」
その祈念碑に 隠れるように
当然 今では新しく立派なトンネルに変わってるけど
こらが 手掘りで掘りあげた「喜佐方隧道」の扁額
トンネルを抜けて 立間八幡様へ
「卯の刻相撲」の時しか 来たことないもんね
今日は 明るいけんね 右大臣様も
左大臣様も お顔がはっきりと・・・
お社
ぐる~っと 一周したら
最近 こんなところにも 目が行くようになったんよ
帰りの石段で見つけた ちっちゃな松ぼっくりみたいな物
クリスマスツリーのような木から 落ちとったんよ
↧
↧
「結い人」吉田ぶらり第3弾 その5
↧
番長さんからの おしごと
「おーい 仕事よ」
お客さんも来て無いのに 呼ばれた
番長さんからの 大事な仕事?やったんよ
何々 このきちゃならしい棒は?
「さすがに カッコ悪いんで これで隠したい」
この生地は セールカバーの切れっ端
こっちも そうとう使いふるしとる
「袋に縫って 紐で 縛れるように」 と 紐持参で
布は 引き裂いとるんで 縫い代が少ない
出来たら 2枚接ぎにしたかったんやけど 布幅が足りん
紐通し口を最後にしたら 難儀したんよ
考えもせず 11号の針で縫ったら・・・
布が重なったところで ポキッと先折れ
さすが セールカバーは丈夫やねえ
なんとか仕上げて・・・
底になる部分に 補強になるもんを探したら
ペットボトルを みつけたんよ
ところがどっこい どれも袋に入らんのやけど
爽健美茶だけは ピッタシ
ホラね
納品
番長さんから 画像を送ってもろうた
なかなか かっこいいフェンダーになったやん
お客さんも来て無いのに 呼ばれた
番長さんからの 大事な仕事?やったんよ
何々 このきちゃならしい棒は?
「さすがに カッコ悪いんで これで隠したい」
この生地は セールカバーの切れっ端
こっちも そうとう使いふるしとる
「袋に縫って 紐で 縛れるように」 と 紐持参で
布は 引き裂いとるんで 縫い代が少ない
出来たら 2枚接ぎにしたかったんやけど 布幅が足りん
紐通し口を最後にしたら 難儀したんよ
考えもせず 11号の針で縫ったら・・・
布が重なったところで ポキッと先折れ
さすが セールカバーは丈夫やねえ
なんとか仕上げて・・・
底になる部分に 補強になるもんを探したら
ペットボトルを みつけたんよ
ところがどっこい どれも袋に入らんのやけど
爽健美茶だけは ピッタシ
ホラね
納品
番長さんから 画像を送ってもろうた
なかなか かっこいいフェンダーになったやん
↧
でっか~い 鯉のぼり
↧
「そこどこや」 笠木峠古墳へ 1
「宇和島藩領をゆく4」 西予市編
応募者が多くて 抽選に漏れとったんやけどなあ
キャンセル待ちで 参加できたんよ ラッキー
「あら どうしたん?その格好」
何も考えずに 来た人もおったんよ
皆は やるき充分でー!
宇和平野は麦晩秋
上り道に入ったら 道端では・・・
筵じゃのうて ゴザに広げとんさる
「三瓶神社」 なんでー?
三瓶の由来の瓶が 三個あるらしいよ
はや 見晴らしが良うなった
宇和の田んぼは 遥か昔から
約110mの条里に 区画されとるんと
「清水地蔵」で
喉を潤して
馬頭観音様もまつられとるんよ
峠への道は 昔は狭く急で 大八車も通らず
牛馬に頼るしかなっかたんと
石畳が 残っとるとこもあるんよ
ここからすぐに 見晴らしにええ 「ものい嶽」に行けるんと
正面には 笠置峠古墳が見えとる
ここからは 高低差が無さそうやね あと少しやね
たくさんの遍路墓も まつられとるんよ
「峠の茶屋」到着
「文さん井戸」?
えっー! ふみさんの井戸があるん?
応募者が多くて 抽選に漏れとったんやけどなあ
キャンセル待ちで 参加できたんよ ラッキー
「あら どうしたん?その格好」
何も考えずに 来た人もおったんよ
皆は やるき充分でー!
宇和平野は麦晩秋
上り道に入ったら 道端では・・・
筵じゃのうて ゴザに広げとんさる
「三瓶神社」 なんでー?
三瓶の由来の瓶が 三個あるらしいよ
はや 見晴らしが良うなった
宇和の田んぼは 遥か昔から
約110mの条里に 区画されとるんと
「清水地蔵」で
喉を潤して
馬頭観音様もまつられとるんよ
峠への道は 昔は狭く急で 大八車も通らず
牛馬に頼るしかなっかたんと
石畳が 残っとるとこもあるんよ
ここからすぐに 見晴らしにええ 「ものい嶽」に行けるんと
正面には 笠置峠古墳が見えとる
ここからは 高低差が無さそうやね あと少しやね
たくさんの遍路墓も まつられとるんよ
「峠の茶屋」到着
「文さん井戸」?
えっー! ふみさんの井戸があるん?
↧
↧
「そこどこや」笠置峠古墳へ 2
峠には2軒の茶屋があったんと
そのうちの茅葺き屋根には 立花文助さん夫婦がおったんと
「ふみさん井戸」やのうて 「ぶんさん井戸」やったんやね
天保11(1840)年 シーボルト娘イネが この峠を越えた時
文助さんの祖父倉治郎さんが お茶の接待をされたらしいんと
倉治郎さんの子嶋吉さんが 10歳やった頃
安政元(1854) イネは再び 卯之町を訪れとるんと
大正6(1917) 嶋吉さんが亡くなり 間もなく
文助さんは 峠から人里へ下りたんと
この峠を下りると 八幡浜(釜倉)へ
その脇に お地蔵さん
昔はなあ 追いはぎや化け物が出ると 恐れられとったんと
寛政6(1794)年 釜倉の和気吉蔵さんが
村中の安泰と 旅人の安全を祈願して 建立されたんと
子孫になる方が 今も月に一度 供養に来られとる
すぐそこに 見えてきたねえ
懐かしい チガヤの風景
葺石(ふきいし)は 盛った土が崩れんためなんと
盗掘を受けてはおったけど 残った出土品等の説明を聞いて
しゃもじ形の前方後円墳 後円部から 方部を見下ろして
竪穴式石槨(せっかく)はこの中 4世紀初め頃に造られたんと
内部の様子
実は残念ながら 石槨も葺石も
当然のことやけど 本物はこの下に埋まっとるんよ
それにしても 良う出来とるねえ
レプリカやとは思えんのよ
この日は 宇和盆地の眺めも 霞んどる
八幡浜方面は これで見てやんさいや
そのうちの茅葺き屋根には 立花文助さん夫婦がおったんと
「ふみさん井戸」やのうて 「ぶんさん井戸」やったんやね
天保11(1840)年 シーボルト娘イネが この峠を越えた時
文助さんの祖父倉治郎さんが お茶の接待をされたらしいんと
倉治郎さんの子嶋吉さんが 10歳やった頃
安政元(1854) イネは再び 卯之町を訪れとるんと
大正6(1917) 嶋吉さんが亡くなり 間もなく
文助さんは 峠から人里へ下りたんと
この峠を下りると 八幡浜(釜倉)へ
その脇に お地蔵さん
昔はなあ 追いはぎや化け物が出ると 恐れられとったんと
寛政6(1794)年 釜倉の和気吉蔵さんが
村中の安泰と 旅人の安全を祈願して 建立されたんと
子孫になる方が 今も月に一度 供養に来られとる
すぐそこに 見えてきたねえ
懐かしい チガヤの風景
葺石(ふきいし)は 盛った土が崩れんためなんと
盗掘を受けてはおったけど 残った出土品等の説明を聞いて
しゃもじ形の前方後円墳 後円部から 方部を見下ろして
竪穴式石槨(せっかく)はこの中 4世紀初め頃に造られたんと
内部の様子
実は残念ながら 石槨も葺石も
当然のことやけど 本物はこの下に埋まっとるんよ
それにしても 良う出来とるねえ
レプリカやとは思えんのよ
この日は 宇和盆地の眺めも 霞んどる
八幡浜方面は これで見てやんさいや
↧
「そこどこや」ナルタキ古墳へ
西予市には 300を超える遺跡があるんと
7割を超える遺跡が 宇和盆地に集中しとるんと
明浜や三瓶の海岸部 野村や城川の山間部には
縄文時代や中世の遺跡が
宇和盆地では 弥生時代から奈良平安時代などの遺跡
南予の 中核やったんと
「西の前遺跡」
古代の瓦などが出土 寺院跡らしいんよ
藁の敷き方に お百姓さんの意地を感じるね
あれは? 「岩木観音嶽洞窟遺跡」
ここからも 土器が出土しとるんと
弥生時代には珍しい 山腹の洞穴遺跡なんと
「ナルタキ古墳群」
6世紀から7世紀の円墳が 10基ほど確認されとるんと
横穴式石室にも 入ったんよ
突き当りには大きな岩 天井部にも大きな岩
石舞台みたいやったんよ
せっかくやのに 中の画像を撮るのを 忘れとった
「千五百の守」や 追葬の話しを聞いたら
ちょっと気色悪うなって 早々に退散したんよ
帰りは 観音嶽のそばを通って・・・
左手には 観音堂も見える
宇和ぶらりで見た 家々
ベンガラ色の お家も多かったんでー
7割を超える遺跡が 宇和盆地に集中しとるんと
明浜や三瓶の海岸部 野村や城川の山間部には
縄文時代や中世の遺跡が
宇和盆地では 弥生時代から奈良平安時代などの遺跡
南予の 中核やったんと
「西の前遺跡」
古代の瓦などが出土 寺院跡らしいんよ
藁の敷き方に お百姓さんの意地を感じるね
あれは? 「岩木観音嶽洞窟遺跡」
ここからも 土器が出土しとるんと
弥生時代には珍しい 山腹の洞穴遺跡なんと
「ナルタキ古墳群」
6世紀から7世紀の円墳が 10基ほど確認されとるんと
横穴式石室にも 入ったんよ
突き当りには大きな岩 天井部にも大きな岩
石舞台みたいやったんよ
せっかくやのに 中の画像を撮るのを 忘れとった
「千五百の守」や 追葬の話しを聞いたら
ちょっと気色悪うなって 早々に退散したんよ
帰りは 観音嶽のそばを通って・・・
左手には 観音堂も見える
宇和ぶらりで見た 家々
ベンガラ色の お家も多かったんでー
↧
「そこどこや」開明学校での授業
「うつぼぐさやが 咲いとる」 とか
「ねえ なにが取れるん?」 とか
ほんとはね 何気ない ぶらり歩きが好きなんやけど・・・
卯之町に移動して
ここでは 観光客になってしもうた
「開明学校」
明治15(1882)年に建てられた 擬似洋風の建築
右手の「申義堂」は 明治2(1869)年
左氏珠山の門下生や町民によって 自発的に建てられたんと
開明学校 正面
左手の この資料館には 入らんかった
お二階へ
明治の授業のはじまり
「はな先生 ごきげんよう」?!
教科書と修了証をいただいて
2階の窓からは 二宮敬作の墓所が見えるんよ
「宇和民具館」 「先哲記念館」なども見学して
そうそう 「高野長英」の隠れ家へも・・・
駆け足やったんよ
「ねえ なにが取れるん?」 とか
ほんとはね 何気ない ぶらり歩きが好きなんやけど・・・
卯之町に移動して
ここでは 観光客になってしもうた
「開明学校」
明治15(1882)年に建てられた 擬似洋風の建築
右手の「申義堂」は 明治2(1869)年
左氏珠山の門下生や町民によって 自発的に建てられたんと
開明学校 正面
左手の この資料館には 入らんかった
お二階へ
明治の授業のはじまり
「はな先生 ごきげんよう」?!
教科書と修了証をいただいて
2階の窓からは 二宮敬作の墓所が見えるんよ
「宇和民具館」 「先哲記念館」なども見学して
そうそう 「高野長英」の隠れ家へも・・・
駆け足やったんよ
↧
「そこどこや」卯之町ぶらり
↧
↧
松山城下 屏風
↧
城守
↧
「結い人」 吉田マップ作り
↧
草履製作 つま先を編む
↧
↧
草履製作 編みに入りました
↧
草履製作 鼻緒編み込み
↧
草履製作 仕上げです
↧
More Pages to Explore .....