葡萄見っけ!
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城守 草取り作業
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今年の「そこどこや」
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しばらく お魚三昧でした
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金山文庫
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乾拓を とりました
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遍路石
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城守 草刈作業
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七夕様の短冊
この葉は?
城守草刈作業中 「これ何の木やった?」
似たような葉っぱは なんぼでもあるけんね
城守衆 なかなか固有名詞が出てこんのよ
大目付 「梶の木ですよ」
これ 七夕様の短冊に使われとったんと
大目付 「ほんとですかー いつの時代?」
んんー 平安以前?・・・・
いつもうろ覚えで 詳細は?いんでから調べよっと
和紙の原料として知られとる 梶の木
葉は柏と同じように 食器として用いられて 神職に使われたんと
七夕さまには 里いもの葉の露で墨をすり 梶の葉に願い事を書いたんと
今のように 短冊になったんは 江戸時代になってかららしいんよ
詳しくは 「梶の木・葉 七夕 短冊 冷泉家」等で 調べてやんさいや
梶の木のついては こちらの画像を・・・
城守草刈作業中 「これ何の木やった?」
似たような葉っぱは なんぼでもあるけんね
城守衆 なかなか固有名詞が出てこんのよ
大目付 「梶の木ですよ」
これ 七夕様の短冊に使われとったんと
大目付 「ほんとですかー いつの時代?」
んんー 平安以前?・・・・
いつもうろ覚えで 詳細は?いんでから調べよっと
和紙の原料として知られとる 梶の木
葉は柏と同じように 食器として用いられて 神職に使われたんと
七夕さまには 里いもの葉の露で墨をすり 梶の葉に願い事を書いたんと
今のように 短冊になったんは 江戸時代になってかららしいんよ
詳しくは 「梶の木・葉 七夕 短冊 冷泉家」等で 調べてやんさいや
梶の木のついては こちらの画像を・・・
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八幡様 輪抜け
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「輪ぬけ」の まわり方
8の字にまわるんやけど 右から?左から?
いつも迷うんよね
左からまわって 右をまわって も一度左なんと
その時 和歌も唱えるらしい
色々他も のぞいてみたら 正面で一礼してからくぐっとる
イザナギノミコトが黄泉の国から もんた時
「左の目を洗い・・・右目を洗い・・・鼻を洗った・・・」
神社ではどんな時も だいたい左から始めるんと
FB友の画像 拝借してみたんよ
スサノオノミコトが旅の途中 一夜の宿を借りようとされたんと
蘇民将来・巨旦兄弟にお願いしたら 裕福な巨旦には拒絶され
兄は貧しい生活ながら お泊めして精一杯のおもてなしをしたんと
「天下に悪い病気が流行った時は 茅萱で輪をつくり災難から
まぬがれなさい」と 教えられたんと・・・・・
数年後 悪病が流行った時 蘇民将来の家だけたすかったんと
ほやけん 「我は蘇民将来の子孫なり」と 唱えるんやね
6月30日の 八幡様の輪ぬけは あいにくの雨
人出が少なかったんで ええ場所で お神楽の動画が撮れたんよ
アクロバティックな 「弓の舞」
妖艶な 「神躰細女舞・しんたいうずめまい」
烈しい 「火焼き舞・ひたきまい」
いつも迷うんよね
左からまわって 右をまわって も一度左なんと
その時 和歌も唱えるらしい
色々他も のぞいてみたら 正面で一礼してからくぐっとる
イザナギノミコトが黄泉の国から もんた時
「左の目を洗い・・・右目を洗い・・・鼻を洗った・・・」
神社ではどんな時も だいたい左から始めるんと
FB友の画像 拝借してみたんよ
スサノオノミコトが旅の途中 一夜の宿を借りようとされたんと
蘇民将来・巨旦兄弟にお願いしたら 裕福な巨旦には拒絶され
兄は貧しい生活ながら お泊めして精一杯のおもてなしをしたんと
「天下に悪い病気が流行った時は 茅萱で輪をつくり災難から
まぬがれなさい」と 教えられたんと・・・・・
数年後 悪病が流行った時 蘇民将来の家だけたすかったんと
ほやけん 「我は蘇民将来の子孫なり」と 唱えるんやね
6月30日の 八幡様の輪ぬけは あいにくの雨
人出が少なかったんで ええ場所で お神楽の動画が撮れたんよ
アクロバティックな 「弓の舞」
妖艶な 「神躰細女舞・しんたいうずめまい」
烈しい 「火焼き舞・ひたきまい」
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金剛山にて 村候勉強会
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「當下は その時じゃ」
田舎育ちのあたしゃ 習い事などもしとらんし
両親は暗ろうなるまで 野良仕事
中学3年の時から 寮や下宿生活やけんね
街のお嬢様方が 常識とされとる事を 何~んも知らんのよ
知らんお蔭で ええこともあってな
村候勉強会で 感動しとるあたしゃを見て
ゆうべのお習字の時 これを貰ろうたんよ
村候勉強会で見た お軸
「宗演草」と 書かれとった
釈宗演は 1892年34才で 円覚寺派管長に就任
翌年には福沢諭吉のバックアップにより渡米
各地を巡遊し インド経由で帰国
1903年建長寺派管長兼務 その後日露戦争勃発により様々あって
1914年臨済宗大学学長就任
1916年円覚寺派管長就任
先生が押入れから出してこられた 一冊の本
どうせ難しゅうて 理解できんやろうと思うたけど
パラパラめくってみたら ちょっと読んでみとうなった
一語くらい 感銘を受ける言葉があるかも・・・・
丁度開いたページを 読んでみると
「當下は そのときじゃ。」
思い立った時 其の時ね!
両親は暗ろうなるまで 野良仕事
中学3年の時から 寮や下宿生活やけんね
街のお嬢様方が 常識とされとる事を 何~んも知らんのよ
知らんお蔭で ええこともあってな
村候勉強会で 感動しとるあたしゃを見て
ゆうべのお習字の時 これを貰ろうたんよ
村候勉強会で見た お軸
「宗演草」と 書かれとった
釈宗演は 1892年34才で 円覚寺派管長に就任
翌年には福沢諭吉のバックアップにより渡米
各地を巡遊し インド経由で帰国
1903年建長寺派管長兼務 その後日露戦争勃発により様々あって
1914年臨済宗大学学長就任
1916年円覚寺派管長就任
先生が押入れから出してこられた 一冊の本
どうせ難しゅうて 理解できんやろうと思うたけど
パラパラめくってみたら ちょっと読んでみとうなった
一語くらい 感銘を受ける言葉があるかも・・・・
丁度開いたページを 読んでみると
「當下は そのときじゃ。」
思い立った時 其の時ね!
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「よう降りますな~し」
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怪しい飲み会
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伊達講座 其の二 伊達宗城と水戸烈公
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ネジバナとメジロホウズキ
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愛媛新聞 四季録
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お習字教室の窓から
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伊達秀宗公物語
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