吉田藩でも 上意討ち事件があるんよ
寛文4(1664)年 船奉行 勅使河原父子の斬殺事件
御用船の用材に 死節(しにぶし)を使用したとの
理由やったんと
事件後 変異が続いてな 祟りを恐れて
御殿山の麓に 和霊明神社を建立したんと
今は 八幡神社に移されとるんよ
刃傷事件も・・・・・
深田村に 文庵と名乗る評判のええ医者が おったんと
文庵こと 山田仲左衛門は 宗純の難病を平癒さして
破格の高禄で 召し抱えられるんよ(1674年)
医術以上に 武術の達人の仲左衛門 仕官6年足らずで
五百石取りの 筆頭家老にまで のぼりつめたんと
次第に 藩政を専横するようになってな
「仲左衛門にお家乗っ取りの野心あり」と
御小人組軽輩らが 山田の暗殺を企てるんよ
ほんでも 内通者がおってな
一網打尽にされたんと 天和3(1683)年のことなんよ
寛延3(1750)年には 廟所が設けられて
「お八人様」として 供養されとるんよ
山田は難を避けて 江戸へ
甲斐織部ら譜代の家臣は 何度も仙台藩に訴えるんよ
貞享3(1686) 芝浜の仙台藩で裁判中
得意の弁舌で言い繕う山田に 甲斐織部が乱入
斬りかかるも 武芸の達人山田のこと 未遂に終わるんよ
この結果 山田は仙台藩終身幽閉
織部は五百石没収 成妙の黒井地村に・・・
事件は決着するものの 仙台伊達家から宗利に
「宗純の行状を監視せよ」との 口添えが有り
向後 宇和島藩は吉田藩に対する 優位を確率したんと
寛文4(1664)年 船奉行 勅使河原父子の斬殺事件
御用船の用材に 死節(しにぶし)を使用したとの
理由やったんと
事件後 変異が続いてな 祟りを恐れて
御殿山の麓に 和霊明神社を建立したんと
今は 八幡神社に移されとるんよ
刃傷事件も・・・・・
深田村に 文庵と名乗る評判のええ医者が おったんと
文庵こと 山田仲左衛門は 宗純の難病を平癒さして
破格の高禄で 召し抱えられるんよ(1674年)
医術以上に 武術の達人の仲左衛門 仕官6年足らずで
五百石取りの 筆頭家老にまで のぼりつめたんと
次第に 藩政を専横するようになってな
「仲左衛門にお家乗っ取りの野心あり」と
御小人組軽輩らが 山田の暗殺を企てるんよ
ほんでも 内通者がおってな
一網打尽にされたんと 天和3(1683)年のことなんよ
寛延3(1750)年には 廟所が設けられて
「お八人様」として 供養されとるんよ
山田は難を避けて 江戸へ
甲斐織部ら譜代の家臣は 何度も仙台藩に訴えるんよ
貞享3(1686) 芝浜の仙台藩で裁判中
得意の弁舌で言い繕う山田に 甲斐織部が乱入
斬りかかるも 武芸の達人山田のこと 未遂に終わるんよ
この結果 山田は仙台藩終身幽閉
織部は五百石没収 成妙の黒井地村に・・・
事件は決着するものの 仙台伊達家から宗利に
「宗純の行状を監視せよ」との 口添えが有り
向後 宇和島藩は吉田藩に対する 優位を確率したんと