5代村賢から 6代村芳にかけての時代
天明2(1782)年から 5年間に 4回に渡る風水害
天明7年 土居式部が一揆を企てるも 未然に摘発獄死
名将土井清良の後裔 神官土居家は 絶えたんと
この6年後 寛政5(1793)年 大規模な一揆が 起きるんよ
農民の困窮を見かねた 百姓武左衛門
門付けの乞食芸人に 身をやつしてな
3年間にわたって 領内農民を説得 24人の同志を得るんよ
まず 豪商は法華津屋を打ち壊せと 檄をとばして
領内83か村全てを決起さすんよ
なんで 法華津屋?
その頃諸藩では 特産品は専売制
吉田藩では法華津屋こと 三引高月家と叶高月家の両家が
全ての物資を扱うばかりでのうて
紙の専売とゆう特権を 与えられとったんと
打ち壊しのための大綱が 今でも残っとるんよ
神社の護符 女の髪の毛なども ない込んどるんと
1万人近い百姓が集まったところで 一転して
宇和島藩に訴える策を取り
宇和島城下の八幡河原に集結したんと
八幡河原に駆けつけた 吉田藩家老安藤義太夫継明
吉田藩に 願書を出すよう説得
群衆の面前で 切腹したんと
安藤継明は 宇和島藩村候に推挙されてなった末席家老
事態収拾に乗り出した宇和島藩は 要求をすべて認め
百姓の罪は問わないと 約束したんと
吉田では 非業の死を遂げた安藤継明を崇敬
安藤様として 祀られとるんよ
おさまらないんが吉田藩 首謀者探索に やっきになるんと
田植え前の川普請で 例年にない好条件で雇用してな
慰労の酒食を振る舞うて 井川方役人岡部二郎九郎は
酔ったふりしてほめちぎり 首謀者の名を聞き出したんと
その後 一斉補縛されるんよ
その日の岡部は 目黒滑床へ滝見見物で アリバイ工作
「わしがいれば 何とかできたものを」と・・・大芝居
武左衛門は吉田連行途中 下大野村はずれで斬首
ほかの者は永代入牢
安藤継明の17回忌に赦免されたんと
武左衛門一揆については これでも書き足らんほどやなあ
天明2(1782)年から 5年間に 4回に渡る風水害
天明7年 土居式部が一揆を企てるも 未然に摘発獄死
名将土井清良の後裔 神官土居家は 絶えたんと
この6年後 寛政5(1793)年 大規模な一揆が 起きるんよ
農民の困窮を見かねた 百姓武左衛門
門付けの乞食芸人に 身をやつしてな
3年間にわたって 領内農民を説得 24人の同志を得るんよ
まず 豪商は法華津屋を打ち壊せと 檄をとばして
領内83か村全てを決起さすんよ
なんで 法華津屋?
その頃諸藩では 特産品は専売制
吉田藩では法華津屋こと 三引高月家と叶高月家の両家が
全ての物資を扱うばかりでのうて
紙の専売とゆう特権を 与えられとったんと
打ち壊しのための大綱が 今でも残っとるんよ
神社の護符 女の髪の毛なども ない込んどるんと
1万人近い百姓が集まったところで 一転して
宇和島藩に訴える策を取り
宇和島城下の八幡河原に集結したんと
八幡河原に駆けつけた 吉田藩家老安藤義太夫継明
吉田藩に 願書を出すよう説得
群衆の面前で 切腹したんと
安藤継明は 宇和島藩村候に推挙されてなった末席家老
事態収拾に乗り出した宇和島藩は 要求をすべて認め
百姓の罪は問わないと 約束したんと
吉田では 非業の死を遂げた安藤継明を崇敬
安藤様として 祀られとるんよ
おさまらないんが吉田藩 首謀者探索に やっきになるんと
田植え前の川普請で 例年にない好条件で雇用してな
慰労の酒食を振る舞うて 井川方役人岡部二郎九郎は
酔ったふりしてほめちぎり 首謀者の名を聞き出したんと
その後 一斉補縛されるんよ
その日の岡部は 目黒滑床へ滝見見物で アリバイ工作
「わしがいれば 何とかできたものを」と・・・大芝居
武左衛門は吉田連行途中 下大野村はずれで斬首
ほかの者は永代入牢
安藤継明の17回忌に赦免されたんと
武左衛門一揆については これでも書き足らんほどやなあ