草履完成です
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「結い人」
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宇和島八幡神社 夏越の祓
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提灯
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金剛山大隆寺
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新聞記事より「長宗我部元親の手紙」
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幟旗決まりました
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幟旗製作
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吉田夏祭り 走り込み
小学校時代の恩師から お祭りのお呼ばれ☎があったんよ
吉田は伊達の分地で生まれた 三万石の町なんよ
宇和島と同じような 走り込みもあるんよ
先生のお家は 柳橋のすぐそこなんよ
お祭り大好き先生 朝からソワソワ出たり入ったりしよるんと
御馳走をいただいて 早速桜橋へ
川の両サイドの道は テーブルとイスが並んで 大宴会
どこに こんなに人がおったの?
桜橋の上も 満員電車並状態
山下公園側には 川に張り出して 特別ステージ
下流方面に 走り込みの竹が・・・・・
夜の撮影 難しいもんがあるけんね
動画で楽しんでやんさいや
松明隊が川に入ったところ
3体の神輿が 竹の周りで練ったら さがるんよ
神輿が引いた後で 若者たちが 御札奪いに・・・・・
なかなか登れなくて 長~いんよ お暇な方だけ・・・・・
画像がブサイクなんは お許しを・・・・・
吉田は伊達の分地で生まれた 三万石の町なんよ
宇和島と同じような 走り込みもあるんよ
先生のお家は 柳橋のすぐそこなんよ
お祭り大好き先生 朝からソワソワ出たり入ったりしよるんと
御馳走をいただいて 早速桜橋へ
川の両サイドの道は テーブルとイスが並んで 大宴会
どこに こんなに人がおったの?
桜橋の上も 満員電車並状態
山下公園側には 川に張り出して 特別ステージ
下流方面に 走り込みの竹が・・・・・
夜の撮影 難しいもんがあるけんね
動画で楽しんでやんさいや
松明隊が川に入ったところ
3体の神輿が 竹の周りで練ったら さがるんよ
神輿が引いた後で 若者たちが 御札奪いに・・・・・
なかなか登れなくて 長~いんよ お暇な方だけ・・・・・
画像がブサイクなんは お許しを・・・・・
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恩師の家にて
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「なつかしの吉田」 その1
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「なつかしの吉田」 その2
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「なつかしの吉田」 その3
秀宗の供養塔を中心に 在りし日の「伊達墓所」
山下亀三郎創立 「山下女学校」
おっと 懐かしや~ 記憶の片隅にあるがなあ
あたしゃ 「田ごしらえ 」言いよったけど
吉田では 「地ごしらえ」のタイトルになっとる
昭和20年代 立目より南君・船間・大良方面の風景
大正初期の養蚕室
廃藩による士族救済のための
「遠山矩道」よる養蚕が始まりなんと
温度調整のための 小さい屋根が
軒下にはエビラ(丸篭) 庭先には桑畑も見えとるね
大正5年撮影 桜丁のお正月
山本写真館は この頃もあったんや
昭和18年7月21日から 降りだした雨は
24日の集中豪雨で 甚大な被害をもたらしたんと
今年の8号台風 足摺沖を通ってくれて良かったなあ
「暴れ牛鬼」 暴れ場は 大体3ヶ所あって
付近の商家は 店先破壊防止のため
丸太の柵を 組んどったんと
「お練り」のみちゆきが 浜通りで中休み
白壁とよう似合うよねえ
「お亥の子」も 賑やかやったんやねえ
写真は 大正初期の魚棚3丁目の亥の子連中
まだまだ紹介したいけど これにてひとまず・・・
山下亀三郎創立 「山下女学校」
おっと 懐かしや~ 記憶の片隅にあるがなあ
あたしゃ 「田ごしらえ 」言いよったけど
吉田では 「地ごしらえ」のタイトルになっとる
昭和20年代 立目より南君・船間・大良方面の風景
大正初期の養蚕室
廃藩による士族救済のための
「遠山矩道」よる養蚕が始まりなんと
温度調整のための 小さい屋根が
軒下にはエビラ(丸篭) 庭先には桑畑も見えとるね
大正5年撮影 桜丁のお正月
山本写真館は この頃もあったんや
昭和18年7月21日から 降りだした雨は
24日の集中豪雨で 甚大な被害をもたらしたんと
今年の8号台風 足摺沖を通ってくれて良かったなあ
「暴れ牛鬼」 暴れ場は 大体3ヶ所あって
付近の商家は 店先破壊防止のため
丸太の柵を 組んどったんと
「お練り」のみちゆきが 浜通りで中休み
白壁とよう似合うよねえ
「お亥の子」も 賑やかやったんやねえ
写真は 大正初期の魚棚3丁目の亥の子連中
まだまだ紹介したいけど これにてひとまず・・・
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「城守」 宇和島城の魅力
この間の日曜日 城守では勉強会やったんよ
正徳元年(1711) 幕府へ提出した絵図の控えを見ながら
滋賀県立大学 「中井 均 」先生の お話を聞いたんよ
現存12天守の一つとゆうだけが 宇和島城の魅力じゃないんと
「近世城郭も従来の天守閣や石垣などの研究だけでなく、縄張りや考古学の視点から分析することも重要である」
宇和島城の構造
*縄張りの最大の特徴は山城と三の丸とゆう二元的構造
戦国時代的特徴が一番の魅力なんと
*五角形の外郭 北面と西面は直接海に接する
陸側は土塁 山側は石垣と見事な使い分けをされとる
*塁線上に設けられた折
本丸帯曲輪には屏風折 長門丸と外郭には折・屏風折・合横矢
三の丸のみ直線的塁線
*外郭に構えられた追手門と搦手門
外枡形で 二の門が構えられない構造
豊臣秀吉系列の城に多い構造なんと
徳川時代では 一の門(櫓門)二の門(薬医門)と定型化するんと
*徹底した城山の維持管理
松の木は 薪・食料・建材にもなる
山麓部は崖面が描かれて人工的に削りとられとる
彦根城では「山切岸 ・やまきりぎし」と呼ばれとるんと
崖に描かれた竹のようなもんは
あたしにゃ ヨセとかアシに見えたけどなあ
正徳元年(1711) 幕府へ提出した絵図の控えを見ながら
滋賀県立大学 「中井 均 」先生の お話を聞いたんよ
現存12天守の一つとゆうだけが 宇和島城の魅力じゃないんと
「近世城郭も従来の天守閣や石垣などの研究だけでなく、縄張りや考古学の視点から分析することも重要である」
宇和島城の構造
*縄張りの最大の特徴は山城と三の丸とゆう二元的構造
戦国時代的特徴が一番の魅力なんと
*五角形の外郭 北面と西面は直接海に接する
陸側は土塁 山側は石垣と見事な使い分けをされとる
*塁線上に設けられた折
本丸帯曲輪には屏風折 長門丸と外郭には折・屏風折・合横矢
三の丸のみ直線的塁線
*外郭に構えられた追手門と搦手門
外枡形で 二の門が構えられない構造
豊臣秀吉系列の城に多い構造なんと
徳川時代では 一の門(櫓門)二の門(薬医門)と定型化するんと
*徹底した城山の維持管理
松の木は 薪・食料・建材にもなる
山麓部は崖面が描かれて人工的に削りとられとる
彦根城では「山切岸 ・やまきりぎし」と呼ばれとるんと
崖に描かれた竹のようなもんは
あたしにゃ ヨセとかアシに見えたけどなあ
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花のネジネジも大好き!
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城守のつもりで・・・
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「薮ケ市」と言う処
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真っ白な紫陽花
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「縫書」に夢中 1
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「縫書」に夢中 2
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