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Channel: 愛 編む ばあばぁ in 宇和島
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松野町誌より・・・遊鶴羽(ゆずりは)の遍路伝説

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 むかし、むかし、一人の四国遍路姿のお坊さんが、奥内の
遊鶴羽にやってきました。
  山の中の遊鶴羽は、日暮れも早く、はやとっぷりと
暮れていましたので、一件の百姓屋に一夜の宿をこいました。
  百姓の家の者は、お遍路さんの身なりがあまりにもみ
すぼらしいので、家の中に止めるのを躊躇し、庭の隅に筵
(むしろをしいてやりました。
  翌朝、家の者が起きてみると、お坊さんの姿はどこに
も見えず庭の隅の筵の上にぽつんと岩が坐り、かたわらに、
お遍路さんの笠と草鞋がぬいでありました。
  家の者たちは、大変驚き、
「これは、偉い仏様の化身だ、
   大変粗末にあつかってすまなかった」
と言って、その岩のあったところに家を建て、これを仏様
として祀ることにしました。

松野町誌より 大森様の腹切り話

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 むかし、むかし、大森城のお殿様の家来に、一人の
貧しい武士がおりました。
  この時代の武士は、戦さがはじまると戦場にでて戦
いますが、平常は百姓をしており、日々の食物は自分
が田畑で作っていました。
  ある日のこと、近くの裕福な士の家で、小豆が盗まれ
ました。
  当時は小豆が貴重品であり「おせきはん」に炊いて
御馳走とされ、常日頃は食べられないものでした。
裕福な士の家では、近くの貧しい士の家の者が、小豆
を盗んだのではないかと疑っていました。
  そこへ貧しい家の子供がやって来ましたので、
「どんなご飯を食べたか」
と聞きました。
すると子供は
「赤いご飯を食べた」
と答えましたので、貧しい士の家の者が小豆を盗んで
食べたと信じこみ
「うちの小豆を盗んで、おせきはんにして食べたのだ」
と決めつけました 。
  貧しい士は、此のことを聞いて
「私の家の者は、他人様の物など盗むようなことはない。
  盗人にされたは士の恥であるから、盗み食いをして
  ない証拠をみせる」
といって我が子に因果をふくめ、幼い子供の腹をたちさ
ばきました。
  子供の腹からは、赤がかった粟のごはんの食物が出ま
したが、小豆は一粒も出ませんでした。
  村人たちは、死んで証をたてた子供を憐れみ、これを
祀って供養し「大森様と」いってあがめました。
  大森様は、子供の腹痛を直してくださるという信仰が、
今もなお一部に語りつたえられています。

松野町誌より 建徳寺水引地蔵伝説

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 文禄四年(1595)に、土佐国安芸郡甲浦浜町より
一躰の地蔵像が飛来して、この地目黒に堂を建て
祀られた。
その因を尋ぬれば、安芸郡近郷の猟師らが猟に
行き猪鹿を獲ての帰途日暮れて、甲浦浜町にある
聖徳太子の作と言われる、水引地蔵を祀った
  神聖な地蔵堂で猪肉を食し酒盛りをした。漁師が
肉食する気を嫌うなら、地蔵尊にこの地を立ち去る
ようにと言った。
すると、堂が音をたて揺れだした。漁師たちはびっ
くりして恐れて地蔵尊にあやまったが、しばらくして
見ると地蔵尊の姿はなかった。
村中が大騒ぎになり捜しまわって見ると、林の中
に光り輝いて鎮座しておられた。そこで再び堂に安
置したが、翌朝には再びその姿は見えなかった。
南方の方向に紫雲をたなびかせ光明を放って、飛
び去って行くのが見えた。
その地蔵尊は、伊予の国の目黒村に飛来して、
建徳寺に祀られるようになった。ことに旱(ひでり)
続きの年には、寺僧に雨乞いをしてもらうと晴天にな
る日もにわかに曇り、雨が降り出すと伝えられている。
そこで、この地蔵尊は水に関して功徳があると伝え
られ、水引地蔵尊としてその後信仰されている。


        この伝説は建徳寺の記録にある説である 

松野町誌より・・・田代沼の伝説

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じゅんぐりの話

  むかし、むかし、一人の炭焼き猟師がおりました。
ある日のこと、この漁師が、目黒の西の川の山へ
猪狩りに行きました。
  この山は、大木が茂った昼も暗いほどの深山であ
り、山の頂きに大きな沼がありました。猟師が、この
沼のほとりで猪が来るのを待っていますと、一匹の
ミミズがするするとやってきました。
  すると沼の中から大きな蛙が出て、青ミミズをぺろ
りと食べてしまいました。
 しばらくすると、一匹の大蛇が出て、蛙を一口に食
べてしまいました。
  するとそこへ猪が来て、大蛇を食べてしまいました。
  猟師は、今度は自分が猪を撃つ番だと思い、鉄砲
の火縄に火をつけ引き金に手をかけましたが、そこ
で考えました。
「ちょっと待てよ。先程から見ていると、強い奴が出
て来ては、弱い 奴をやっつけている。若しわしが、
この猪をやっつけると、わしより強いのがまた出
て来て、今度はこのわしがやられるかもしれぬ」
と思い、あたりを見渡しました。
  すると突然、アタマの上の大木から、
「猟師よ、良い思案じゃのう!」
と、いう声が聞こえました。
  猟師が驚いて上を見ますと、怪物が、今にも猟師に
襲いかかろうとしていました。
  猟師はびっくりぎょうてんして、目黒の里へ逃げ帰り
ましたが、その時、火縄に火をつけたまま手にまい
ていたので、大火傷をしました。
  村人たちは、猟師が火傷をしているので、そのわけ
をいろいろと問い尋ねました。そこで猟師は、この出
来事を村人たちに話して聞かせました。
  それから、その沼を、猟師の名を取って「田代沼」と
呼ぶことになりました。


        まだまだ紹介したいお話がたくさんあるんやけど
        今回は このあたりで お・し・ま・い

城守  ヤブツバキの植樹です

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日曜日の午前中の「そこどこや」は

後日UPすることにして・・・

午後は城守やったんよ


式部丸で ヤブツバキの植樹

先生は「最後に愛情を・・・」と 必ず言われるんやけど

「愛って 何ですか?・・・」

「声を 聞くことです」

な~あるほど

自分やのうて 相手の気持ちをくみとらんと


さあ ここは済んだよ


三の丸に移動して


実生から育てたんを 植樹

さてさて どうなることやろうあな・・・


城守 お花見です

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お城山にも こんな春が・・・



あーっ! ちょ ちょっとー!危ないよー!
 


あ~ぁ たまげたね

それにしても ええ敷物やろ


本丸の薄紅寒桜が満開なんよ

作業を終えて お弁当使いでもしょうかね


市街地の向こうの


観音様のあたりも ピンク色に・・・

「あれは 河津桜」と 教えてもろうたんよ



城守 お亥の子披露

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季節はずれとお笑いかもしれんけど

お花見で 手作り「お亥の子」 うち初め!


「うちも つかせてや ついたことないんやけん」

そうよね 男の子のお祭りやったもんね


昔とった・・・・の方々は 

「おっと 懐かしや 何十年降りやろか」

筑豊育ちの先生は

「これは 初めてです やらしてください」

すぐに 仲間入り

皆についてもらえるか?心配しとったんやけど

何度も 何度も ついてもろうたんよ

城代の口からは

「弁当食いよる暇が ありゃせんがー」

一部 動画で どうぞ

この日誕生日の大目付のお祝いも 亥の子唄で・・・
この後 お花見に遅れたお嬢様と 夜の街で ひとときを・・・
持参の おちょこ かわいかろ

我が家のお雛様

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うっとこの お雛様飾り

出すんも 仕舞うんも ら~く・ちんちん

友の作の折り紙やけど 可愛らしかろー!

この辺では 四月のお節句まで・・・・・




そこどこや 伊達宗城をめぐる女たち

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先週の日曜日の午前中 歴史資料館で「そこどこや」

伊達宗城をめぐる女たち

表での追求だけでのうて

日常「奥」での 動向や人間関係を学んだんよ


四回目のこの日は 義妹・お正とお節を中心に~


宗城は 日常を書きとめるんが好きやったみたいやね

直筆の画像の特徴的な文字

すっかり馴染んで来てしもうた


布ぞうりの準備

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前作が でっかいぞうりやったんで

残り布では 一足編めんのよ

探しとったら ええんを見っけ!

準備だけは ここまでできたんよ



沈黙

幟旗製作準備ができました

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鬼ヶ城が白くなったりして 冷かったね

春に向けての製作は幟旗

「エイヤー !」と 思い切って

✂でチョキチョキ・・・


今年は赤の文字と


白い文字 


やっとここまで 準備ができたんよ

ぞうりも幟も 準備だけやがな・・・

がんばろっ!


結い人で・・・

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日曜日の朝の 結い人の日

石◯氏は なんかしら面白い物を持参してもらうんよ

その日は これ!

しばらく話が弾んで にぎやかやったんでー

興味ある人は クリックして見てやんさいや








もちろん 仕上がり間近の作業も忘れずに・・・




場違いな所に辿り着く前に・・・・・

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お時間どおりには 到着したんやけど

ちょっと 待たんといけんみたい

お日様のあたる お庭で待たしてもらおうわい

もうすっかり 春やねえ






いやー たまげた

ドアを 開けてもろうたんよ

こんなエスコートされたん 生まれて初めてや

ナビ代わりのあたしゃ 助手席に・・・


ナビのお勤め終了 無事到着



青少年ホームにて

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開設41周年記念なんやと


師からの使命を 忘れたらいけんね


圧巻やー!


「日本人より日本人らしい外国人」

近日中に TV東京にご出演らしい・・・


場違いなとこに 来てしもうた・・・

「写真を撮ってこい」との 使命だけは果たせたんよ







任務完了やと思ったら 次の指令が・・・・・

「木屋旅館の写真も 取って来なさい」



城守 特別講座 石垣巡り

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先週の日曜日の午後 

石垣のお勉強をしてきたんよ

先ずは郷土館の前で 

古代からの石垣の歴史から 

簡単に説明してもろうて・・・


中世では 土留め程度に利用 高石垣はなかったんと


近世 16世紀に入ると  

琵琶湖周辺の神社仏閣の石垣構築を職務としていた集団

「穴太(あのう)衆 」を 織田信長が登用

安土城に高石垣を用いた城郭が築かれるんと

その特徴は 

自然石(野面石)・10mを超える高石垣・斜めの勾配 ・反り無し・

石垣の背後には裏込め・出角は角石を左右交互に(算木積み)


秀吉の時代には 石垣構築技術が高まり 広まったんと

文禄慶長の役の影響で さらに石垣は新たな展開へとなるんと

その特徴は 

「ノミ」と「矢」を使こうて割石を用いる・反りを付ける技術の発生・

出角の稜線を整え直線上に通す


そして 慶長元~6年(1596~1601)

藤堂高虎 宇和島城を築城の時代へ突入

宇和島城の石垣巡りは また明日!


城守特別講座 宇和島城石垣巡り 

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なんでやろうかね

石垣を積んだんをみると 感動するんよねえ

竹田城は やたら人気があるし

備中松山城なども それに続け~と しとんさる

宇和島城に石積みは 専門家からみても

ほんとに 魅力的なんと

ぐる~と 宇和島城石垣巡りをしたんやけど

楽しみ方を ほんのちょっとだけ・・・


こちらは 藤堂高虎が築いたと言われとるんよ

「角石のてっぺん2段は 補修しとりますね 」


こちらは先生が 宇和島城で一番好きな石垣なんと


大きな石を見せとるね

「鏡積み」 ゆうんと

奥行きは浅そうて 見せかけだけなんと

大阪城のは たまげるほど でっかいよねえ


石垣ゆうても 大雨や大地震で 

なんべんも補修されとるんよね

「一歩下がって 眺めて下さい」

この面にはV字の 補修の線が浮かんどる


こちらは 斜めに補修の線が・・・


自然石の中に ノミ跡面のある石が2個

「後から 補修 埋め込まれたもんです」


初期の角石

「木を切ってしまわないと くずれますね 」


角石の脇石の大きさも 大きくなるんと


もうすぐ ここは皆に見てもらえるんよ

よそでもよく見る 一直線上の角石

実は 線をひいてノミで 仕上げとるんと

ここも見事やでー 




石を割る時の 矢穴の跡の説明も

高虎のは矢が大きいんと


画像 右端が古うて 新しいと小そうなるんよ

現在は左端にようなんを 使うんと


帯郭の土塀跡

一間毎に 草に埋もれて あったんよ


先人達の想いも詰まったような 石垣

やっぱり 魅力的やねえ


そこどこや 西予市編 その1-1

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「宇和島藩領をゆく」シリーズ 第3弾

狩江公民館にて


「段々畑の変遷と暮らし」について お話を聞いて


段々畑に向こうたんよ


おっ 石橋が・・・


船板が張られた家


灌漑用の ホースの束


けっこう 登ってきたんよ


眼下の家並み

屋根に小さい屋根は 養蚕の名残

これで 温度調節をしよったらしい


のどかやなあ・・・


ここの段々畑の石垣は 全て石灰岩

白っぽうて  角がとれとる


みかん畑の隅に残る 桑の木


そこどこや 西予市編 その1-2

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段畑農道をしばらく散策して

集落よる段畑傾斜の違いなどを感じて



下ったところの お宮さん


可愛い タコちゃん


中には お神輿と牛鬼


こちらの牛鬼

胴が半分に重ねられて お休み中


文化12年奉納と刻まれた 灯篭


石垣の角は ま~るく仕上げとる


春日神社やったんよ

火袋には 電球が・・・


そばには 「大元山」と刻まれた 奉納石

宗紀の文字なんと 



そこどこや 西予市編  その1-3

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大早津(おおそうづ)へ

20年ほど前は 子供達と訪れた 懐かしい場所

海水浴をしたり 焼き肉食べたり 焼き物をしたり・・・

すっかり 様子も違ごうとる

其の頃にはなかった 明浜歴史民族資料館へ・・・


館内に入るとすぐに 目にはいったのが

「イシマテ貝」

石灰岩に分泌物で穴をあけながら成長するんと


中央には で~んと 木彫立体図が

宇和と俵津の境界を 証明するためにつくられたんと

ケヤキ材で 25個のブロックに分けられとるんよ

残念ながら ここに来るまでの保管が 悪かったみたいやね  


「五つ鹿」の古面

安政元(1854)年 宇和島裡町「森田屋磯右衛門吉晶」作


踊りの様子・・・・・


昭和22年 明浜の海岸砂の中から 発見されたんと

「縄文の釣り針」


同じ手法で 作られた物なんと


館内には なんやかやと・・・


あらっ 映写機・・・


各種 道具類も・・・


船箪笥


ガラスケースの中には 高価そうなものが たくさん・・・・・ 


これら素晴らしい展示品の数々

見に来てくれる人は・・・・・・・


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